中林忠良銅版画版画展に会期中2回行きました。
本来は10月19日のギャラリートークに申し込んでいたのですが、大学の行事と重なってしまい、11月1日のクロストークの回に改めて申し込みし、参加させていただきました。
また会期中後半には、札幌から来ていたYさんと再度会場へ。
今回は中林さんが幼少期の頃に品川に縁があったということで品川区立O美術館での開催でした。
決まったときから是非脚を運びたいと思ったのは川越市立美のときと同じです。
今回は、新しく作成された茅野の山のアトリエでの製作風景、山のアトリエでの製作で思う事などをまとめた新しいVTRも放送されていてとても良かった。(コーネリアスのTシャツを着た中林さんが解説を)
このO美術館での開催は、茅野市の美術館に続いての展示。
クロストークの前にはお団子やスパークリングワインやシェリー酒を受付でご用意していただいたり、中林さんが開発された鴈皮を用いた版画用の和紙(高知県の工房との共同開発)をお土産に下さったりととてもアットホームな中ですばらしいクロストークに参加できました。
クロストークの前から作品を観るために早めに会場へ。
中林さんが(奥様と一緒に)会場にいらしたので、いくつか質問を... 今回、なんと銅版画の版を触れられるように展示してくださっており、作品で刷られるモノクロームのグラデーションや腐蝕によって可能な細やかな仕事そのものを観て、触れることができて感動しました。
グラデーションの部分についてお尋ねすると、硝酸を使うということでした。しかし一番重要なのは経験であると
川越の時よりも道具の展示もあり、本当に持てる技術や技法を惜しみなく、示されていると感じました。
私はクロストークのときに、作業環境および腐蝕銅版画を作成する上での科学的な物質変容、その時間、人間と芸術が真に触れるときのディープな体験というのを、なんとなくだが、熊田陽一郎氏の「美と光」にあるステンドグラスの作成課程の話を思い出していた。
中林氏の作品は自然と大地、あるいは命あるもの、そして朽ちゆくものとしての時間、その存在という眼差しに多くをみるのだが、光のもつ意味を浮き上がらせる技法が私はとても惹かれるからかもしれない。
「中世の人々によれば、すべて宝石というものは太陽や月の光が地上に降り、大地に浸透し結晶したものであるという。しかもそれらの眼にみえる光は、より高い精神界の光の照らされて輝く光なのだから、宝玉はもともとは精神的光の凝ったものなのである。そこで人々はルビー、サファイアなどの宝石を砕き、粉末にしてガラスに焼き込んだ。13世紀のガラスのもつ深海のような彩りは、この高貴な材質によるとさえいわれるが、この学問的メルヘンは、我々を限りない瞑想に誘う。大地に浸透して宝石となり長年のあいだ凝固していた光が、今ステンドグラスとして背後の光に照らされて、再び天上の耀きと自由の中に燃え上がる。天と地、精神と物質、神の世界と人間の世界のこの連続性、両界の自在な相互侵入こそ、光の思想の風土なのであった。」(「光と美」P.206)
もっとも自然に触れなくてはならない芸術はもっとも力の強い自然(危険)に触れるものである、この技法について思い出していた。そして、その作業環境を、作家側の立場において制作環境を変革してきたのが中林さんの大きな功績の一つであり、それも展示されてた。来年1月には過去に出版された本も再版されるとのことであった。
中林さんの2013年以降の転位作品での光の描写、あるいは地の草、水、荒れた大地、そこにさす一条の光などが私は1970年代の作品とともに好きなのだが、今回もゆっくり見られた。
また、茅野市のつづいて、はじめてカラーのモノサイズの作品も展示されていたのが印象にのこった。
クロストークの際に質問できる機会があったので、おたずねしたところ、この作品群は「共生」という医療関係者の月刊誌に掲載された作品だとのことだった。
看護師や医師の方が見る冊子ということで、モノクロ作品だけだと...ということで彩色作品を作り続けられたとのことでした。
11月1日に中林さんとお話したときには、3,4日前に圭吾(小山田さん)も見に来てくれたみたいだよ、とのことでした。
埼玉近美や竹橋の近代美でも展示してほしいと思います。

BECK <Hyperspace>
豆バル:名古屋の豆専門店
写真展 ”Rock The Best” (於:リコーイメージス...
Burberry GINZA preview;バーバリー銀座:プレビュ...
GUCCI BLOOM:Ambrosia di Fiori
本来は10月19日のギャラリートークに申し込んでいたのですが、大学の行事と重なってしまい、11月1日のクロストークの回に改めて申し込みし、参加させていただきました。
また会期中後半には、札幌から来ていたYさんと再度会場へ。
今回は中林さんが幼少期の頃に品川に縁があったということで品川区立O美術館での開催でした。
決まったときから是非脚を運びたいと思ったのは川越市立美のときと同じです。
今回は、新しく作成された茅野の山のアトリエでの製作風景、山のアトリエでの製作で思う事などをまとめた新しいVTRも放送されていてとても良かった。(コーネリアスのTシャツを着た中林さんが解説を)
このO美術館での開催は、茅野市の美術館に続いての展示。
クロストークの前にはお団子やスパークリングワインやシェリー酒を受付でご用意していただいたり、中林さんが開発された鴈皮を用いた版画用の和紙(高知県の工房との共同開発)をお土産に下さったりととてもアットホームな中ですばらしいクロストークに参加できました。
クロストークの前から作品を観るために早めに会場へ。
中林さんが(奥様と一緒に)会場にいらしたので、いくつか質問を... 今回、なんと銅版画の版を触れられるように展示してくださっており、作品で刷られるモノクロームのグラデーションや腐蝕によって可能な細やかな仕事そのものを観て、触れることができて感動しました。
グラデーションの部分についてお尋ねすると、硝酸を使うということでした。しかし一番重要なのは経験であると
川越の時よりも道具の展示もあり、本当に持てる技術や技法を惜しみなく、示されていると感じました。
私はクロストークのときに、作業環境および腐蝕銅版画を作成する上での科学的な物質変容、その時間、人間と芸術が真に触れるときのディープな体験というのを、なんとなくだが、熊田陽一郎氏の「美と光」にあるステンドグラスの作成課程の話を思い出していた。
中林氏の作品は自然と大地、あるいは命あるもの、そして朽ちゆくものとしての時間、その存在という眼差しに多くをみるのだが、光のもつ意味を浮き上がらせる技法が私はとても惹かれるからかもしれない。
「中世の人々によれば、すべて宝石というものは太陽や月の光が地上に降り、大地に浸透し結晶したものであるという。しかもそれらの眼にみえる光は、より高い精神界の光の照らされて輝く光なのだから、宝玉はもともとは精神的光の凝ったものなのである。そこで人々はルビー、サファイアなどの宝石を砕き、粉末にしてガラスに焼き込んだ。13世紀のガラスのもつ深海のような彩りは、この高貴な材質によるとさえいわれるが、この学問的メルヘンは、我々を限りない瞑想に誘う。大地に浸透して宝石となり長年のあいだ凝固していた光が、今ステンドグラスとして背後の光に照らされて、再び天上の耀きと自由の中に燃え上がる。天と地、精神と物質、神の世界と人間の世界のこの連続性、両界の自在な相互侵入こそ、光の思想の風土なのであった。」(「光と美」P.206)
もっとも自然に触れなくてはならない芸術はもっとも力の強い自然(危険)に触れるものである、この技法について思い出していた。そして、その作業環境を、作家側の立場において制作環境を変革してきたのが中林さんの大きな功績の一つであり、それも展示されてた。来年1月には過去に出版された本も再版されるとのことであった。
中林さんの2013年以降の転位作品での光の描写、あるいは地の草、水、荒れた大地、そこにさす一条の光などが私は1970年代の作品とともに好きなのだが、今回もゆっくり見られた。
また、茅野市のつづいて、はじめてカラーのモノサイズの作品も展示されていたのが印象にのこった。
クロストークの際に質問できる機会があったので、おたずねしたところ、この作品群は「共生」という医療関係者の月刊誌に掲載された作品だとのことだった。
看護師や医師の方が見る冊子ということで、モノクロ作品だけだと...ということで彩色作品を作り続けられたとのことでした。
11月1日に中林さんとお話したときには、3,4日前に圭吾(小山田さん)も見に来てくれたみたいだよ、とのことでした。
埼玉近美や竹橋の近代美でも展示してほしいと思います。

BECK <Hyperspace>
豆バル:名古屋の豆専門店
写真展 ”Rock The Best” (於:リコーイメージス...
Burberry GINZA preview;バーバリー銀座:プレビュ...
GUCCI BLOOM:Ambrosia di Fiori
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