
8月初旬と、会期終了間際の8月末の2回、いってきました。
初回に会場に脚を踏み入れた方は、初期の二作品の映像をまず観ることになっただろう。
「咳をする男」(L'homee qui touse /1969)と「なめる男」。
密室で咳をし、苦悶の中(仮面によって顔はみえない)で血のようなものを吐き続けながら嘔吐し咳をする男を見るはずである。その音声は隣の展示室にも響いている。我々は初めてみたときに、死や拷問、苦痛の歴史のようなものの恐怖に駆られるはずである。
だが、ボルタンスキーが描いたのは「咳をする男」である。それだけであるはずだが、私たちには深い印象が刻まれてしまう。また「なめる男」もどこかタブーのような犯罪めいたものを感じるであろう。しかし仮面をかぶった男が、人形(リアルではない)の女性を「舐める」だけ、なのである。
ここの映像を見たときに、すぐに思ったのは「ペルソナ」という人間の本性を覆い隠す仮面のことであり、もう一つは、いくつかの抽出された視覚情報によって、我々はすでにある知識によって意味を持とうとするはずだ。恐怖や不安といった感情からそうなるのだ。「一体この映像は何なのか」ということを、感覚のレベルと観察と、実のところ何なのか?ということをあわせて観られるかどうか?
形あるものは崩れる、大理石を使わないモニュメントや小さい頃の思い出の品を粘土でつくり、薄暗い展示室内の古びた金属製の引き出しを模した展示台に、目の細かい金網が貼られている。
私たちは、何か過去の凄惨な事柄の遺物のように感じ、それをゆっくりと凝視する。
展示室内のモノクロのポートフォリオは死者を思わせるからだ。
影(天使(Ombre/L'ange)は展示室と展示室の間の小部屋の天上でゆっくりと影としてまわっている。
最初に興味深く思ったのは、仕切られた白い展示室内にある「影(Ombre)」だった。
鑑賞者はこの作品を、三つの窓からみることになる。
壁に写る横顔は、嘆いているのか笑っているのか憤っているのか嘲笑しているのかわからない。
メキシコの死者の日のように、骸骨たちの模型が吊るされ、影は壁面3方面に写されている。
いずれもどの方向からみても異なるものに見えるのだ。
しかしもっと重要なことは、この作品のしかけがわかるようにできていることだ。
映し出されるものをみるだけでは、不十分である。
照明につるされたこの薄い金属板(死や群衆、無関心な笑いなどをあらわすようなオブジェ)は、スポットライトで照らされて、送風機でおくられた風によって、揺れていて、その不規則な影の様子と沈黙が私たちに何かしらのインプレッションを与える。そしてその仕掛けをボルタンスキーは開示しているのだ。
あなたが観ているものは、影であり、その仕掛けと実体はこのようなモノを送風機で揺らし、光をあて、いくつかの角度からことなるものを見せる装置なのですよ、と。
もうお気づきかと思うが、これはプラトンの「ポリテイア」で語られる「洞窟の比喩」のモデルをミニマムに作品化したものに見える。それもアイロニーに満ちていて、ユーモラスかつ少しばかりの恐怖や不安を感じるもの。
私たちが目にして抱く感覚は、果たして実態であるのか?
テレビに映し出されるものや、演出されたものを視聴者は通常知る事はない。
そして一つの視覚情報によって感情的になったり、混乱したりするのである。
死者たち、そして生命あるもの、形あるものが崩れていくこと、記憶、忘却、そういったものをボルタンスキーは描き出している。

地下のミュージアムショップ前で50分にわたるドキュメンタリーが放送されていたが、多くの人は会場で撮影し、恐いとか死を感じるといった体験で会場を後にしたのではないかと思っている。
このドキュメンタリーで重要なことは、ボルタンスキーは私の作品にはある種の滑稽さ、というものを加味していると言っているがそのとおり、だと思った。


私たちは真に受け取らねばならない意味やメッセージ、記憶や歴史と、つねに巻き込まれていく表層の境界を意識しておくことが必要だと思うし、それには感じることと、考えること、生と死の両方の価値を認めることなのではないか?と考えていた。


最初に展示をみたときには、ロベルト・エスポジトの「ペルソナ」「ゾーエー」の概念を思い出していた。
最初の展示には娘といったのだが、再度行ったときは仏文好きな身内と行った。
その人と感想を語ったのだが、モーリス・ブランショの「至高者」と「アミナダブ」を思い出した、と言っていた。

大規模な回顧展ということで、見逃さずに展示会場に脚を運べて良かったと思う。







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