2018年春から開講されている新ギリシア哲学史、第14回はアポロニアのディオゲネス。講師は納冨信留先生。

イオニア地方、ミレトス学派から始まりちょうど初期から古典期にかけての第一区分前半部が終わったことになる。

今回はアポロニアのディオゲネス、アルケラオスが取り上げられた。

アポロニアのディオゲネスは、パルメニデスへの応答(自然哲学者)は一元論的な自然学。もう一人のアルケラオスArchelaosはソクラテスが初期に学んだ可能性がある。アルケラオスはイオニアからアテナイへ自然学を伝え
倫理学にも関心をもったとさえている。
デルフォイの神託を思い起こしてみれば、ソクラテスほどの知者はいない、ということだった。プラトン対話篇では助産術による問答法、ディアレクティケーによってさまざまな問いが言葉によって探求される。何も学ばないうちからフィロソフィアの営みをアゴラで行っていたとは思えない、だろう。アルケラオスや自然哲学から距離をおいて、いわゆるプラトン対話篇のソクラテスの活動があったと思うのは自然に思える。
ポスト・アナクサゴラスの話も聞けたのだが、実無限に対しての懐疑がうまれたのかもしれない、と思ったのだが、限定についてはピタゴラス派から導入されたものがプラトンを通じてあらわれているので、ソクラテスが自然哲学から距離をおいた、のとはわけて考えたほうがいいという質問の答えを先生からいただいた。


アポロニアのディオゲネスについてはすこし前の時代までは折衷的としてオリジナルなものがないということで軽視されてきたらしい。(私がルネサンス思想史をまとめようとするときも多くの本では、混淆であるとかオリジナリティが云々いわれており、差異や進歩や整合性について言及されていることはあまりなかったように思われる。書かれたテキストの中には、今日からみればいかにも合理的ではなさそうにみえることや著者ならではのこだわりなどもあり、それほど重要でないとみられてしまうものも含まれる。それはむしろ、教科書的な部分には載らないであろう、その人が生きていたときの実感や時代背景なども含まれるものだ。カントやライプニッツであってもそうだろう。

納冨先生の講座によれば、アポロニアのディオゲネスはアナクサゴラス、アナクシメネス、レウキッポス、ヘラクレイトス、メリッソスらの先行哲学説からとられたものとみられる。
その中で方法論を提示しており、これはヒッポクラテス派の医学文献に類似するとのことである。

納冨先生訳でアポロニアのディオゲネスの言葉を引用しておこう。

「すべての言論を始めるにあたり、その出発点には異論の余地のない原理を提出し、論述は平明で崇高なものでなくてはならない、と私には思われる。」

整合させ、方法論をとることで、フィロソフィアにおける秩序のようなものも提案されたのかもしれないと思うし、整合させているということからこれらの自然哲学がすでに読まれていることを示している。

テオフラストスの学説誌の伝承があったが、6世紀シンプリキオスの時代には「自然について」を直接参照している。(まだこの時代にはあった)アカデメイア閉鎖後、これらの初期自然哲学者の著作は多くが散逸してしまうのである。プロクロスの時代、偽ディオニシオスとの繋がりなどを考慮したりすると、何かをきっかけにして蓄積されたり共有された知識や学問は散逸してしまう。

こうしたことは今日でも起こりうる状況になっており、逆にいえば再生されたり共有されたりする環境要因というものが古代世界にもあり、ルネサンス期にもある。参照と再評価などは近代以降も繰り返されてきた。
今日の状況を鑑みるうえでも、とても興味深い事柄であり、無関心ではいられない。

(残っている、翻訳されている、いつでも手にとれるが読まないとか機能的な文盲問題もある、パブリックな図書館で「需要」がない?という理由で蔵書が処分されたりする・・・特にこの数年では)また虚偽と事実の混在も問題になっている今日においては。


パルメニデスへの応答という形で自然哲学者たちの学説や伝統継承をみてきた、他方散逸している中には初期ギリシア哲学(FMコーンフォードの言葉を用いるならば、ソクラテス以前)にも倫理学の要素はあった、ということは興味深い。

アルケラオスは、ノモスとピュシス(nomos /phisis) の区別を導入した最初の一人のかもしれないということ、デモクリトスの失われた著作集ともかかわるだろう。


ちくま文庫で2017年に再刊された「哲学の誕生」の補論の文を引用しておこう。

「だが、プラトンが前4世紀前半に古いソフィストたちの言動を対話篇に著した時には、おそらく同時代のライヴァルたちが年頭に置かれていたはずである。一方には、ゴルギアスやプロタゴラスの影響を受けた次世代のソフィストたち、イソクラテス、アルキダマス、ポリュクラテスらが活動しており、アテナイ社会で大きな知的影響を及ぼしていた。」(補論 P.343)

「20世紀半ばにオロフ・ジゴンは、ソフィストや自然学者とソクラテス派の間に直接の知的連続性があると論じた。(『ソクラテス』第4章。)その見方は基本的に正しいが、プラトンが描いたソクラテスの姿を、私たちが西洋哲学の伝統として受け継いでいることも確かである。このソクラテスこそ「哲学」の創始者であり、様々な議論や思想を生み出した数多の知識人の一人ではない。対照的に、当時隆盛を誇ったソフィストたちは「哲学」の領域から締め出され、長い哲学の歴史において追放と忘却の憂き目にあった。私たちはこの歴史を踏まえて、プラトンのソクラテスをしっかりとみていかなくてはならない。」(p、344)