13日は 新 ギリシア哲学史14 原子論者たち レウキッポス デモクリトスがテーマの回で、前回エンペドクレスに続き、出席しました。

講師は納富先生。


トラシュマコスが編纂したデモクリトス著作集52編は断片もあまりなく、アリストテレスが形而上学アルファ巻4で要約を書いたり...しかしシンプリキオスが引用したり触れてないことから1世紀から5世紀までの間に散逸している。



レジュメでは、近現代の自然科学への接続部分として、ルクレティウス 写本の発見、16世紀から17世紀、フランスでのピェール ガッサンディによる復興、イギリスの18世紀から19世紀半ばにかけてジョン ドルトンによる復興が示された。日本では20世紀初頭の寺田寅彦氏によるルクレティウス と科学で言及がある。


デモクリトスはアリストテレスによって形而上学アルファ4にて要約されているが、講座で取り上げられた部分を一部引用しておきたい。


「レウキッポスと彼の弟子デモクリトスは、充実体と空虚とが基本要素であると述べ、その一方を ある もの、他方を ない もの、空虚で希薄なものが ない ものであり ...中略 

基本要素のもつ多様な差異がそれ以外のものの原因である。そういった差異は3種類あり、形状と配列と向きがそれである。彼らの言い方をすれば「リュスモス rhysmos とディアティゲー diathige とトロペー trope によって」のみ多様な差異は生ずるのであって、それらのうちリュスモスは形状のことであり、ディアティケーは配列、トロペーは向きのことである」


アルファ巻4 985b4-20 内山勝利訳


先生の説明を聞いてわかりやすい、合点がいったと思ったのはとくにリュスモスについてである。このギリシャ語はリズムの語源になっているということで、大変わかりやすかった。私は音楽を聴く際にも舞踏を見る際にも、リズム充実でパーカッションが好きなのだが、これは単なる拍子や音節ではなくて、良くできた感動を得るものは音像がある表現を重視しているからである。そして静止や完全な静寂の瞬間や、止まるということでそれらはよりあるものとして意味を成す。

トロペーの向きは回転的である?のかアリストテレスもまた原子論に対して運動への言及が不満なのか疑問を呈しているが、これらはルクレティウス やエピクロスにつながり、陽子や中性子の話はエンペドクレスも含まれてくる。我々が今日エネルギーと呼ぶものは作用の一つでもあるが、唯物論のはずの原子論に力の要素が加わると相対性理論のようなものへもいきつく。これらは初期ギリシャ自然哲学をかなり含んでいて、人間の原動力やまとまり、反発、倫理も含めて議論されたのがプラトン対話篇だろう...


原子論のアトムはこれ以上分割不可能なものをさす。


おそらく形而上学もまた読み直してみるとよい機会になると思う。ヘレニズムくらいまでは新ギリシア哲学史は続けられると先生から聞いているので、初期の部分を復習しながら自分なりに理解を進めたい。







私見では、私が学んだ樋口先生の教科書でのルクレティウス著作がキリスト教化したなかでは狂人扱いされたように...セム系一神教と原子論はおそらく折り合いが悪い...のだろう。(創造主と被創造物という構造では、原子論の立場とは折り合いが悪いからだ。そして原子論者たちならば、こういうだろう(とルチャーは言っている「創造主がいたとする、そうしたら一体誰がその創造主を作ったのか、とただちに問うだろう」他方、これは短く言うのは憚られるが、原子論のみで果たして存在を語ることができるのだろうか、これはプラトン-アリトテレスに引き継がれているが、他方その中で喪失したものも多い、それを再検討するのがこの講座である)

ルクレティウスの『事物の本質について』がラテン文学のなかで残っているのは奇跡的なことだが。

この作品を元に、ボッティチェリのプリマヴェーラが描かれた。ルネサンス フィレンツェ15世紀は一般市民がラテン語を読み、人物主義サークルがあり、キリスト教世界と共存しながら古代学術学芸と自然科学を再生させよう、また乗り越えようとしたのだった。郊外のヴィラにあったのでボッティチェリのプリマヴェーラは消失を免れた、本人が後に古典世界風の絵は焼いてしまったからだ。... ルクレティウス写本は1417年に発見された。フィレンツェ公会議以降はプラトンのギリシア語原典、ヘルメス文書などに翻訳や注解が移っていく。その間ドミニコ会ではトマスを通じたアリストテレスもまた主流だった。(しかし神学でもトマスの師の時代までは神学に哲学の理論を持ち込むことは大論争になり、仲たがいしていたのであった・・・他方、私には一神教の中に多元性を持ち込むことを新約聖書では少なからず取り入れている。どういう形でかおそらく6世紀あたりの人や福音書記者たちがギリシア哲学的な倫理学やフィリアなどの概念や水脈としてのプラトニズムを持ち込むことに腐心しているようにみえるところがあるのだ・・・そして新約自体が宗教改革であり、セム系一神教の中でも宗教改革のような形でいくつも動きがある。これは現代にも継続されているようにも思える)


デモクリトスとのちのエピクロスの違い、エピクロス派とデモクリトスの違い、さらにルクレティウスとデモクリトスの違いが自分なりに浮かび上がったように思う。デモクリトスの原子論は、多のものが存在する理論にはなるが、2つ矛盾がある。これは、前回までのエンペドクレス、アナクサゴラスのパルメニデスへの応答と共にメモを残しておこうと思う。

エピクロス派は庭園の哲学者といわれるが学園をもち、自然なもの、必須なもの、余剰なものを区別する倫理学を説いた。生きる為には水とパンは必要だが、赤ワインだとかハムだとかははいらない(ということになる)。健康と心の状態を保つための意味であり、今日の快楽主義や享楽の意味はなかった。エピクロス派は女性も学べたので、ストア派からみれば、女を同席させるな!のようなライバルからの誹謗もあり英語ではローマの祝宴イメージなども混合されてしまい不名誉を被っている。他方、キケロは共和政ローマのために公的な活動をしていたから、隠れていきよ、のエピクロスとも折り合いが悪かった。ただ、エピクロス、ルクレティウスは面白いと思う。原子論はルクレティウスの文が優雅さもあり細かい論述もある。なにより春の芽吹きや生成についての自然の神秘を礼賛した文は素晴らしい。ここにきて原子論はわれわれが使い、目にする自然を説明することにつながっているように思う。ただ他方で、優美で自然の神秘も誌的に表したルクレティウスの影響でか、我々は自然世界を説明するときに原子論をあてはめてしまうということも起きがちなのかもしれない。アナクサゴラスの回で、納富先生が現代のわれわれが物の成立ちについて考えるときに、形相質量のアリストテレス的な考えと、原子論で考えがちという指摘があった。興味深いにはパルメニデスに応答する形で、原子論者は空虚を認め、ある・ない のないはないを認めたことである。講座で説明があったので理解したのだが、この考えもパルメニデスの考えを用いながら成立させていることだ。
そしてアリストテレスが引用しているところによれば(レジュメの資料1)運動については不十分なので、プラトン、アリストテレスらは納得できず、これらからエーロス論や潜勢力(デュナミス)エネルゲイアというような考えに繋がっていくのではないかと思っている。
またエピクロスの倫理学の原型はデモクリトスに由来するものだと説明があり資料も検討した。



パルメニデスに対して、デモクリトスはある意味でこの存在論を踏まえた上で原子論を書いたが、ない 空虚..この概念はヘラクレイトスを引いていると私見ではとれる...を認めた上で、原子論を唱えた。のちのルクレティウスは原子論を自然と生成についても書いたので、我々が原子論として受け入れているのはこの作品の影響なのかもしれない。デモクリトスの原子論は元素表のもっともシンプルな原型のような形で、自然や多について説明すると矛盾が出てくる。

デモクリトス著作が多岐に渡ることも確認できた。エピクロスの原型の倫理学や音楽論などもあったとされる。そしてプラトンとほぼ同一時代であった。

デモクリトスの逸話として私が面白いと思っているのは、逍遥学派の先駆けのように受け継いだ資産でそこら中を旅して見物したが最終的に資金がつきた。いろいろあって、弁明しなくてはならなくなったときに彼はこの時見物した見識を書いたものをアゴラで朗読したところ、このような博識がある人は許されるべきだ!と称賛されいろいろな訴えから赦された...w というエピソードである。後でblogにメモをまとめます。


アリストテレスがエネルゲイアやデュナミスと呼んだ力や作用、生成の成る力、エーロス論、アナクサゴラスの実無限論、原子論にある作用運動についての疑問などまとめておきたい。。


現代の話ではマヨラナが1920年代または1930年の失踪前に書いた論文はおそらくこの原子論のなかでの作用 力を現代で引き受けて記述したものであろうから。


PC不調のため、後ほど細かい部分は調整 加筆します。

個人的な備忘録です。



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2012-11-01