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ロスのThe Museum of Comtemporary ART

Westein ボナヴェンチャーに宿泊して徒歩でいけるところを考えて(雨がすごかったので)行きました。

企画展もいくつかありましたがその中で、報道では報じられない戦争、扮装、暴力事件での被害者を映した写真と、公権力側が近年メディアを通じて繰り返す美辞麗句を対比させた作品がとりわけ引き込まれた。

扮装、内紛、戦争、犯罪・・・私たちがニュースで眼にするのは(むしろもしニュースを知ろうと思っても現実の凄惨さが日常とかけはなれていたらそれは目にすることもない。これらを目にして受容するには理性や知性や同情・・・なぜこんなことが・・・という思慮を必要とするからだ。)

しかし覆われたもの、真実そのもの、望まぬ痛みとは何か、それを美化する言葉とは何か、アジテーションと群雄の安心とは何か・・・・
とても考えさせられた。

私はどちらかといえば、現代アートは苦手な分野なのだが、それは現実もマニエラも画法もなんらかの構造的なものからの”ずらし”が苦手なのかもしれない。

私はシンディ・シャーマンのような現代美術・アートは意味があると思う。
アートという言葉は便利で、とくに日本においては・・・・と書いてしまうと、本当に現代アートとしての表現を駆使しているアーティストを批判しそうだし・・・ジレンマを感じている。

東大生協食堂の作品がきりきざまれて処分(すてられた)のは象徴的だった。
わが国では、アート、美術ですら権威主義的な評価をうりにするし、音楽、文学もそうなのだ。

好戦的、ナショナリズム、あるいは普通の国民がもとめる強い国 Nation とは何なのか。

あるいは不合理な死、賞賛の影や美辞麗句の影に隠れた個人のものいわぬ死、あるいは身体の損壊、傷みとは何なのか。

そして痛みの比較が始まる。
個人の痛みなどはしったことではない些細なことというように。

副えられた写真と言葉との対比。
それを沈黙のうちにあらわす前進に杭、釘を打たれた人体を表層する人体像。

・・・痛み。
それを想像する力、そして表層を覆う力や破壊はそれをパワーと肯定できるほど、私たちはノスタルジーに浸れない。

3か月経過しても思い出すので記事にする次第。


後程追記リンクするかもしれません。


写真は、この展示を見る前の、MOCAの展示室の写真。

撮影に関しては現地の係りの方に従って下さい。
傘や大きい荷物はエントランスで預かってくれます。



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https://www.moca.org/

帰国してすぐに書くべきでしたが、いろいろあったので...メモしたものはあるので、追記できればいいと思います


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