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前回参加した新・ギリシア哲学史はタレスからアナクシマンドロス、アナクシメネスへ。
メモ形式です。

西洋哲学史の祖といえば「タレス」(=水)というのがおそらく高校までの哲学史や倫理社会での問の答えとなるだろう。だがそれはなぜなのか、「アリストテレスがそのように編纂したからである」といわれることも多いが、それを詳細に繙く講座です。ソクラテス以前の哲学史、また哲学(フィロソフィア=愛智=希賢学;真理探究の道)とは何かという問い。

・(「万物の始原(アルケー))は水である」とタレスは答えた

と言われているが、この問いと答えを最初にあらわしたのはアナクシマンドロスだと言われている。

つまりタレスの場合はまだ問いの部分はなんといっていたのかはわかっていない。納富先生が多くの資料から導きだしたところによればタレスとアナクシマンドロスは15歳差くらいであろうということだった。
タレスが答えた「水」(透明 という要素も多分に意味があるのではないかとのこと)という答えをめぐり、ミレトス派の中で3つの答えが出、その3つについて詳細を聞くことができた。
そしてミレトス派の問いの答えに対して、その後もそれぞれがその問いを受けて各説を唱えていった、という意味においてやはりタレスは賢者ソロン等、七賢人の類とは一線を画し、フィロソフィアの祖に位置づけられるのではないか。私もおそらくそうではないかと思う。短くいうと、知恵は経験から導きだされるのに対して、それを踏まえてさらに問いを立て解明していくということ、真理は有限存在の人間にはわからぬ、神および神々の(不死)の領域であるとする態度と有限存在を自覚しつつそれに迫ろうとする営みという違いがあると私には思われる。
(コーンフォードが「宗教から哲学へ」で書いたように、またルチャーがエッセイの中で、古の時代は神話的な了解と知がまだ混沌としており、人が触れられぬ真理領域について「神」という宗教用語で語られてしまうという。だがロゴスは神、言葉、真理、知恵など今日よりおそらく用途が広く(ルネサンス期の愛と現代の愛ではルネサンス期の愛のほうが多様かつ広い意味をもつように)、今日でも大文字の神と神々の違いがあいまいとしてしまい、さらには・・・というコーンフォードがいうように、宗教用語と哲学・科学(のちにそうなる)の用語が同じ語で語られているという不幸(誤解を生む)のではないかと思った。それはまた別の問題なのだが、講座内では、文体の違いについて触れられ、ホメロス、ヘシオドスの『イリアス』『神統記』と、アナクシマンドロスの書いた文体について例をあげて説明があったのが大変興味深かった。つまり、韻文か散文か。(有限かつ死すべき存在の人間)の言葉で真理は語れないとすればそれは韻文の文体をとる。(六脚韻・ヘクサメトロス)しかしそれを踏まえながらも散文の文体で「万物の始原(アルケー)は」と問い「それは無限(無限定)」であるとしたアナクシマンドロスはタレスの答えや問を引きついで、そしてミレトス学派の中で共有され論じられたであろうということで、理解できることが増えるのではないかと思った。

納富先生訳のシンプリキオスがアナクシマンドロスを引用している部分を少し引用してみたい。

「プラクシアスの子アナクシマンドロスは、ミレトスのタレスの弟子であり後継者であったが、一にして運動するもので無限なるものを語った一人であり、あるものどもの始原であり要素であるものが「無限(アペイロン)」であると語った。彼はこの「始原(アルケー)という言葉を初めて導入した。彼が主張するには、始原は水ではなく「要素」と呼ばれる他のものでもなく、何らか無限の本性をもつものである。(中略)「あるべき必然に詩型って。というのはそれらに不正の罰を下し償い、相互に、時の秩序に従って」彼はこのように、やや詩人的な言葉づかいで述べている。明らかに彼は四つの要素の相互への変化を見て、これらのどれか一つを基に立てることは相応しくない、これらと別の何かを立てるべきだ、と考えたのである。彼は要素が様態変化して生成するのではなく、反対物が永遠の運動をつうじて分離することで生成が起る、と考えた。(シンプリキオス『アリストテレス 『自然学』註解』 24.13-24)


一部中略。資料ではシンプリキオスによるアリストテレス・アカデメイア派による始原・アルケーの解釈のパラフレーズと始原という語をはじめて導入した(タレスー)アナクシマンドロスの引用部分が区分けされている。

ほかに宇宙論について、アナクシマンドロスが考案した地図や宇宙論の図解について、そしてアナクシメネスについて。90分の講座で概観と新しい資料から説明がありました。

後から質問させていただいたところ、ちくまから2020年頃にギリシア哲学史として著作がでるようです。
(前回タレスの回を聞いていてそう思ったので質問させていただいた)

國際学会に行かれたあとで受講者にグルジア(現ジョージア)のお土産を頂きました。
個人的にはグルジア国立バレエはニーナ・アナニアシヴァリがボリショイ、ABTのプリンシパルの後に自国の文化のために芸術監督に就任してその初めての来日公演(東京文化会館)にも行っているのでなんとなくシンパシーがあります。→ https://youtu.be/NX6zYzHTsLQ 2012年
上記の最初の公演は2005年くらいかと思いますが ニーナといえばキトリ ベストはカデルベラルビとのモスクワ 野外赤の広場ガラですが。
ライモンダも https://youtu.be/6WeqwBwUi6U 

都庁前にて



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