Timothy Snyder
Tim Duggan Books
2017-02-28
![暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン [ ティモシー・スナイダー ]](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/4386/9784766424386.jpg?_ex=128x128)
暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン [ ティモシー・スナイダー ]
ティモシー・スナイダー「暴政」(On Tyranny)その9から
”いい回しをほかのみんなと同じようにするのはやめましょう。誰もが言っていることを伝えるためだけだとしても、自分なりの語り口を考え出すことです”・・・・(9の扉 P.54)
レッスン9(このハンドブックではレッスンと名付けられているセクションにナンバリングされている、9はそれ)から少し引用することとする。
「私たちの時代の政治家は決まり文句(クリシエCliche )をテレビにどんどんつぎ込みますが、テレビでは、「同意したくない人間でさえその決まり文句を繰り返すことになります」(原文には`で強調) (略)
アメリカのテレビの状況を伝える一方で日本では(もはやニュースすら削られているのだが)Twitterを介してしか時事やニュースをしらない(あるいはポータルサイト)ということも起きている。ニュースの見出しに反応し、記事のリンク先を読んではじめて「ニュースを読んだ」ことになるのだが、どうも長い記事をよまないままにRTされることが多いように感じる。そして、これは以前も言っていたことだが、ティモシー・スナイダーが指摘するように、作り出されたメディアの用語は「同意したくない人間でさえ、その決まり文句を繰り返すことに」まさになっている。
例えば政治的な疑惑があるときに、簡略化したモリカケ などもそうだと思う。
なぜ、〇〇問題疑惑 というように伝えず、批判的記事ですらこの簡略化した決まり文句を使ってしまうのだろうか。・・・同意して真実を知らなくてもいい、無関心でありたいなら決まり文句を使えばよいのだろうが、同意しておらず、疑問がある状態の人までがこの決まり文句がつくりだした論調についていってしまうことになってはいまいか。
(流行語大賞などとあいまって、その言葉を使うことが流行なのかどうかともかく。意識すべきだと思っている。決まり文句は誰かが作り出したものだ。何かの目的があってのキャッチコピーのようなものである。)
今指摘したことはインターネットから距離をおくこと、画面から距離をおくことも指摘されるが、今日ではそれは完全には難しい。(いまも私は画面にむかってこの文章をかいている)傍らに多くの本がおいてある状態で、ではあるが・・・
「私たちが、毎日メディアに登場するのと同じ単語、同じフレーズを繰り返していると私たちはもっと大きな観念上の枠組みを持てないことをも甘受することになります。そうした観念上の枠組みを持つためには、コンセプトの数を増やさなくてはならないし、増やすためには読書が必要なのです。」(P.57)
メディアの一つになってしまったかもしれないSNSでもみれば明らかだろう。
同じフレーズを、擁護・支持する人も、問題を指摘したり異議と改善の必要を感じている人も、「おなじフレーズ」を用いてしまっていることは少なくない。
こうした言葉の運び、使われ方、それがどういう効果を持つかということを、もっと気にすべきではないかと思っている。(この記事自体は最初年末から年明けに書こうと思っていた。そして新年度になり、ますますそのことを考えている)
「真実を知り、真実はあなたがたを自由にする」
そして、10ではその真実についての解説に続いていく。
”10.真実があるのを信ぜよ
- 真実である事実を放棄するのは自由を放棄することです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったなら、誰一人権力を批判できないことになってしまいます。批判しようにも根拠がなくなるからです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったなら、すべては見せ物になってしまいます。誰よりもふんだんに金を使った者が、誰よりもよく人々の目を眩ますことができるのですから。” (特設サイトの内容解説より)
- 著者ティモシー・スナイダーなりに、では何を読書すべきかという一覧も挙げられている。
リンクは後ほど追加してみたいが、このテーマでのビブリオをぜひ自分も含めて検討してみたい。
http://www.keio-up.co.jp/kup/gift/bousei.html
慶應義塾大学出版会
Keio University Press
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