7月17日、納富信留先生の「アルキビアデス・クレイトポン」(伝プラトン 三嶋輝夫訳)の講座に出席しました。「アルキビアデス」はプラトンの「饗宴」ほかの対話篇に登場することで知られる古代ギリシア・アテナイの政治家で、この人物の歴史的背景、文脈を含めてプラトンの対話篇と伝えられてきた「アルキビアデス」を中心に読解と解説を聞くことができた。
三嶋先生は三田でのプラトン国際シンポジウムの際にも岩田先生や納富先生とともに登壇されていて直接にお話しを聞いており、また哲学史ではやはり三嶋先生訳の「ラケス」をもとにレポートを書いたのでぜひ参加したいと思っていた。講座は午後1時から5時半まで休憩を挟んで行われた。
特に、ソクラテス文学の中での位置づけ、また後半における「知」「知る」こと「真実探究」について詳細に聴くことができた。
三嶋先生訳より。導入部を少々引用してみよう。
「クレイニアスの息子よ、思うに君は一番最初に恋した僕が、他の連中が諦めてしまった今になってもまだ、一人だけ付き纏っているのをさぞ不思議に思っているだろうね。(略)
君が言うには、君は何事に関しても誰の助けも必要とはしていない。というのも、君は肉体から精神にいたるまで、何一つ足らないものはないくらいに資質に恵まれているからだ。実際、君が思っているところでは、まず第一に抜群に顔もよければ背も高いし--まさにその点で君が間違っていないことは誰の目にも明らかだ--、」
プラトン(伝)が書くところのソクラテスは、アルキビアデスの資質、地縁血縁などの環境などどれも充分すぎる点をまず示している。(だがアルキビアデスは、ペリクレスにだけは勝っていないと思っていることも書いている。
こうした導入部を経てソクラテスとアルキビアデスの対話が行われていく。
講座では「哲学者の誕生」第5章「アルキビアデスの誘惑」から、納富先生が訳されたものを参照しながらおこなれた。
私もそうなのだが(私は納富先生からプラトン対話篇や一次資料との向き合い方、精緻な分析、あるいは当時の状況をできるだけ鑑みて、「ことば」がどのような文脈と背景をもって語られたか知る上で「何を意味するのか」考え読み解くということを師事したが、古代ギリシアそのものよりも受容者の一人であるルネサンス・フィレンツェ時代の思想史を主に解読したので実はアテナイの状況には理解にはまだまだ落ち度があることを最初に明記しておく(これは今後の課題でもある)
どちらにしてもアルキビアデスをめぐる問題はいくつかの重要な点を示している。
「アルキビアデス」の誘惑 第5章から少し引用させて頂きたい。
「「ソクラテスの告発(これは「弁明」で述べられている)に付加された「若者を堕落させる」という罪状は、実際には悪名名高い二人の政治家クリティアスとアルキビアデスを念頭においたものだった。これはポリクラテスが暴いた裏の事情である。当時のアテナイ人は多かれ少なかれこういった見方を暗黙のうちに共有していたであろう。」(「哲学の誕生」P.211)
「弁明」も光文社から新訳を納富先生は出版されており、また「弁明」を学生時代あるいは文庫で読んだという方も「パイドン」ほかとともに読まれた片も多いと思う。
「弁明」におけるソクラテス告白については「不敬神」(アテナイの神々)と「若者を堕落させる」という主に二つの罪状が大きかったのようだが、弁明を読む限りではどちらもそれほど判然とはしない。それゆえ、この訴えとその背景にある事情は、現代からこの対話篇を読む際には背景や状況を考えてみないと問題点が浮かび上がらないのである。
アルキビアデスがどのような人物であったか、これらも第五章には明記していあるのでお読み頂きたいのだが、
この講座を受講して読み返しているうちに二つの疑問があったので、自分の理解不足から来ているものだとしてもメモしておくことにしよう。
・アルキビアデスのアテナイ、およびペルシア、スパルタでの言動は、ソクラテス(主に現在のような「プラトン」を経由したソクラテスから導きだせるのだろうか?
つまり
・アルキビアデスはもちろんソクラテスと懇意でありある種特別な師弟関係であっただろう しかし、「饗宴」で乱入してくるアルキビアデスは「ソクラテス」に別れを告げに来る言動そのものだともされている。
ある部分ではソクラテスの影響は受けているであろう
しかしアルキビアデスの言動(これも伝えられているものを受けてだが)には我々が持っている(つまり主に「プラトン」からあるいは他の「ソクラテス文学」たちが示すもの。だが圧倒的にソクラテスといえばプラトンが対話篇で描いたソクラテスだろう」は必ずしも、というよりソクラテスが対話篇で言っていたことと合致することが少ない。
・プラトンは対話篇で扱った様々な人、議論は問題を明らかに提示する形で書いた(一般向けに)のだろうが、プラトンの時代、あるいはソクラテスの時代には、プラトンが対話篇で示したような「知識と倫理、あるいは真実探究の道」は時代的には浸透していなかったのではないか。
すなわち、大部分の人々はミュートスや神々がというような神話的了解にあり、自然哲学者あるいは弁論家にとっても、真実探究におけるディアクレティケーなどは浸透していないと考えられないか。
プラトンが倫理的、あるいは真、善(善さ)、あるいはそれらと関連する「美」という概念が伝わっていくまではこえれらが多くの人々の間で了解されていたわけではなく、(たとえば、今日から見ればありきたりなことが書いてあるように思われるアリストテレス「ニコマコス倫理学」であっても、当時はあえて書いて示しておく必要があったのではないか)・・・アルキビアデスがソクラテスから受容した「ソクラテス的なもの」とは何であったのだろうか。
またあるいは、受容しながらもそれらから逸脱する選択をしていったのがアルキビアデスなのだろうか。
ここまで書いていて思ったのは、時代が2017年になっても、大多数の人は、善さ、あるいは美の概念についても了解しているわけではない.....。「美しい」と安易に使われるものの大半は「美しいとされているものの片鱗」くらいかあるいは本来的な美とは関係しないものであることが大半であるように...。
後半の講座では、ディアクレティケーといわゆる「ソフィスト的」な知、の差異について先生が指摘されていたのだが、この指摘はとても重要だったと思う。質問もさせて頂いたのだが、つまりは今日もこの後者の質問をしてきて何か確信的な答えを得ようという傾向は、失われるどころかますます、そういったやり方で何かを表面的には理解した、という安心を得たい(そうなるともはや考える必要がない)という傾向は多々見られるからである。
5時間かけた講座だったが、自分が解っていないことと、以前から疑問だった点、対話篇や関係する文献を読んでいた後に残る疑問など、講座の途中、途中で質問する時間もある充実した講座だった。
後にリンクほか少々追加します。

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