
過日記述したラスコーの壁画発見に関して、もう少し付言しておく。
洞窟の発見について、より少し引用してみよう。
「ラスコー洞窟は1940年9月12日木曜日、モンティニャック村の(あるいは当時モンティニャック村に住んでいた)一群の少年たちの手で発見された。18歳のマルセル・ラヴィダ、15歳のジャック・マルサスとシモン・コアンカス、16歳のジョルジュ・アニュルらである。おそらく30年ほど前に根こそぎになった一本の木の残した穴を、探検してみようと思いたったのはラヴィダである。(この穴に驢馬を埋葬したことがある老婦人は中世のころのものだといっていた)(中略)
穴は直径80センチあり、深さもそのくらいであった。しかし、底の部分にもっと小さな穴があいていて、そこから石ころを投げ落とすと、なかなか下まで届かなかった。彼は円錐形の陥没部分へ落ち込んだ、ランプに火を転じ
仲間を呼び、仲間は彼に合流した。このとき彼らは洞窟内部を探検し、まもなく線刻画を、ついで動物の画像を発見した。(略)・・・ほどなくしてラヴァル先生に報告したほうがいいといった。ラヴァルは先史学に通じていたのである。」(P.200-201) 「ラスコーの壁画」
この後は、よく知られるようにブイソニー神父を通じてブルイユ神父が9月7日に報告をうけて31日には現場にいくことになるのである。
ラスコー洞窟が発見されたころは、偽の先史資料、考古学に関する話題も多々あふれた時代だったようだ、ピルトダウン人に関してもこの頃である。
ラスコー展の後は、英国自然史博物館で、「ピルトダウン人」の標本(偽)も展示される。こうした企画の連続で資料と展示、詳細の説明を知ることができるのは幸運だろうと思う。

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この書籍はどこかが学術文庫かちくま文庫、新書、光文社文庫などで復刊しておくべきだと思う。
しかしながら、あれほど豊富であった翻訳学術書はなお危機である。
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