
「ヴェゼール渓谷のモンティニャック村から二キロの距離にあるラスコー洞窟は、壁画を持つ戦史時代洞窟のうち、もっとも美しく、またもっとも豊かな洞窟であるが、ことはそれだけに止まらない。それは人間と芸術に関する、始原期から私たちのもとにまで達したはじめての有形の微でもあるのだ。旧石器時代後期よりも以前にさかのぼると、正確には人間について語れるとはいえなくなってくる。あちこちの洞窟に、ある点では人間に似た生き物が住みついていた。この生きものはともあれ労働をしたし、先史学にいうところの生業(アンドゥストリー)を、石を切るための仕事場を持っていた。だが、この生き物は決して「芸術作品」を作らなかった。芸術など知らなかったわけだろうが、それにしても、一度たりとも芸術制作の欲望を持たなかったのである。こうした事情を考えあわせると、先史学が旧石器時代後期と名付ける時代の、初期ではないにしても前半期のものと推定されるラスコー洞窟は、完成された人類というものの始原に位置することになる。(中略)」
ラスコー展に行ってきました、開催が決まってから始まったらすぐに行こうと思っていた展示でしたが、ようやく行ってこられました。<ラスコーの壁画>については、G.バタイユ成熟期の「ラスコーの壁画(原題:先史時代絵画、ラスコーあるいは芸術の生誕/ スイスのスキラ書店が出した「絵画の大世紀」というシリーズの第1巻で、1955年の春に刊行された(あとがきから)もので、このシリーズは以下エジプト、ギリシア、エトルリア、ローマ、ビザンティンという風に編まれている。このことは先史絵画技法とともに展示の中にも紹介されていた。アルベール・スキラの刊行の辞によると、この企画にラスコーの壁画をいれるように説いたのはバタイユ自身だということだ。(バタイユは1962年に死去)
少し自分の事を描いておくと、この書籍を読んだのはおそらく1995年くらいではないだろうか。高校生の時で、自分の小遣いを貯めて買った記憶があるのだが、このあたりが私が哲学で扱いたかったテーマなのだと思う。始原をめぐっては、斎藤慶典先生のフッサールについての著書で授業を受けたときに発表したのだが、授業の最期にこの書籍の事を思い出し、質問したことがあった。それからしばらく、ギリシア以降からルネサンス期ーフランス古典主義、新古典主義までを学んでいた間は、ラスコーの事はあまり考えてはいなかった。フィレンツェに行った時に、ルネサンスのテーマとは別に、三輪先生の「エトルリアの芸術」について読んでいたので、考古博物館にいき、エトルリアの彫像遺跡を観ていたときに思い出した。現在のことを考えると近代初期について考え、それ以前の古典期、諸元的な始原について考えるというサイクルになっているようである。
そんな状態なので、ラスコー展は行かねば、と思っていた展示だった。この記事もだが、クロマニョン人や人類学的なことはあまり触れない。ラスコー壁画にどのようなアプローチをとっているのかはわからないが、今回の展示は、世界巡回展でラスコー洞窟をほぼ再現した空間が現わされているということだ。
実際に足を運んでみて、再現された空間を知ることはできた。また新しく知ったこともあるのだが、第一展示室にあった模型は洞窟の再現空間の後にあったほうがよりわかるように思う。ここに解説が主にあるのだが、とにかく混雑してしまっており、展示方法自体がやや研究発表(高校文化祭の)を掲示したような状態なので資料は近づかなければ読めないし、なかなか行き来が難しい。会場を過ぎると元の部屋には戻れないので、これから行く方は混んでいても展示については先に見ておかねばならない。最近の美術館の展示方法はもっと洗練されているので、展示ケースや照明、動線などはもうすこし探究されるべきだろうと思ったのだ。
私は先に書いたようにこの洞窟については何度か書籍を読んでいるので必要な展示だけをとにかく優先して観てきた。この本も発売元の二見書房はもうないので、図書館か古本で探すしかないだろう。
かろうじて先史美術のカテゴリーとして展示で扱われているのだが、人文系と理科学系の知識領域の乖離を観てしまったようにも感じた。もしも、ラスコー展企画がそうしたものに通じていたならば、あのような某映画ポスターを思わせるような広告やポスターは創らなかっただろうと思われた...そうであれば、ギリシア・ローマ以前や以降をテーマにするもう少し幅の広いアプローチが可能であろうだろう。・・・・
要するに、巡回展に出されている部分、フランス起源の展示物はよいのだが、おそらく展示方法や見やすさ、解りやすさ、表示などがフランス側で固定されていないものに関しては、もう少しやり方を工夫することが必要に思われたのだった。
圧巻は、洞窟内を再現した空間。
だいたい、書籍にある写真には人が入った写真があるので想定できていたのでその通りであって、左右の壁に洞窟を再現し浮かび上がるレプリカの壁画のある空間は追体験できるものだと思う。
だが、おそらくは本を読まずにこの空間に行ってみて追体験するのと、本を読むだけで得られる情報とに大きな隔たりはないと思う。むしろ、前後いずれかでこの洞窟のもつ意味を少し時間をかけて読んだほうがいいとそれ以前に増して思った。


今回の展示では、氷河期の動物の骨格標本があり、それが大変新鮮だった。私は今まで、ラスコーに描かれた牛をはじめとする動物たちを現代的な感覚で捉えていたのだった。短く言うならばヘラジカの大きさが通常の3倍くらいあり、ほとんど「もののけ姫」に出てくる動物の神々たちのような大きさなのだ。ラスコー洞窟で壁画を描いたラスコー人たちの経験は、我々が今感じる体験とは違うものから生み出されているのかもしれない。
なんのために描かれたのか、これはこの壁画を扱うときの大きなものなのだが、こうした周辺の情報が科学的に解析されることと、始原とイマージュをめぐることが良いバランスで解釈されるときに少しずつ真実に近づくだろうということを感じた。


「・・・いずれにしても、私たちは、直径の先祖たちが遺してくれた財産に大したものを付け加えてはいない。自分たちのほうが先祖より偉大だと考えてみえも、そこに正当な根拠などありはしない。「ラスコー人」は、精神と精神との交感が始まるあの芸術の世界を無から創りだしたのである。」(P.18)
バタイユの生きた時代であれば問いはこれだけで済むかもしれない。実際のところ、当初十代のころにこの書籍を読んだ時に、「原初あるいはアルケーとは」と思ったものだ。今でもそれは思う、我々は、模倣以外の芸術作品に触れることは難しい。はじめにこの方法、つまり「消え去るもの、物理的に永久には存在しえないもの、有限なもの、時間、質量・・・・」といったことを考えたときにそれらは廻り始める。
文学(ここでは文字通り、言葉(ロゴス)を非物質の次元に留め、解読可能な言語共有をするもの」であり「相互解釈」とデータおよび実質的な(その時に可能なレベルの科学で)分析する理化学という関係が成り立つ(だろう)。わざわざ言いたくはないが、この二つ(にみえる)分野の隔たりはそれほど遠くはないし、共存するべきなのだ。・・・そうあった人たちが常に発見をしてきた。
少し話をもどそう。
ラスコーの壁画を発見したのは、子どもたちである。これは今回の展示でも取り扱われていたのだが、もう少し付言すると、彼らは最初に小学校の教師にこのことを報告した。そして、その報告を受けた教師によって、研究は発見という事実に比較的早く対応できたのだった。
そして同時に思ったのは、果たしてこうした子どもたちの発見に対して適度なふるまいなり行動とその根拠になる学識を持った教育があるのかどうか。・・・・
学識と成長過程の子どもたちを繋ぐ糸は細くなってはいないか。・・・
改めて読み直している時にそのことは考えていた。
La peinture prehistorique Lascaux ou la naissance de l'art 1955
Georges Bataille
Edition D'Art Albert Skira, Suisse
訳者の出口氏が参照資料にあげていた新書.
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