
私は専門を西洋思想史、特にルネサンス期フィチーノのプラトニズム、プラトンと新プラトン主義についての受容、その意義としている。意義というのは当時つまりルネサンス期とその後の古典古代学術芸術文学への影響を含む。同時にそれは、浸透したゆえの誤解や変容なども含まれる。
過日、放送大学筑波大学の学習センターで開かれている小又先生の古典ギリシア語学習会の時間のなかで、数十年ぶりに堀江先生とお会いした。わたしは最初の哲学講義履修を堀江先生のプロティノスで学んでいる。初めてテクスト、原典を読む、この時と場所を超えて古典となった多くのテクストにいかにむきあうか。
一者、多なるもの、知性 それらの派出と帰還。
プラトンにおいては太陽の比喩から線分の比喩として語られたもの、またわずかな水脈、つまりはアカデメイア閉鎖後の水脈をつうじて、しかしながらキリスト教にも重要な要素をプラトニズムは持っている。
堀江先生にむかし授業中にわけていただいた論文抜刷りを持参しお見せしたら、1番最初に書いた論文だといわれた。
来年夏からおそらくプロティノスの講読が行なわれる旨もお聞きできた。

講読内容についてのお話を学習センター所長と小又先生からお聞きして参加させていただき、文献についてもお聞きできた。プラトン対話篇の講座で御一緒している先輩にもお声をかけてこの日、いろいろ対話できたことも。
台風が近づいて天気が危ぶまれたが、このような機会に参加できたことが幸い。
写真転送がうまくゆかないため、後から修正します。
まずは今週のうちに。

内容は上記参照ください。

小又さんの古典ギリシア語学習会は数物クラスの後に実施されています。
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