ここのところ、長いテキストの多くが(まとまっているとはいいがたく備忘録が多いのだが)演劇・舞台鑑賞の類が多い。多い..のでプラトンを多少なりとも学んだ自分は、件の「詩人追放論」を思い出し、良心の呵責を覚えたりもするのだが....

栗原裕次先生の<イデアと幸福>を読み、一部分だが引用させて頂こうと思った場所がいくつかあった。
コピーするだけではなく、数ページだったらノートに書き写しもした。

「プラトンが詩人追放論を唱えていた根幹には、青年や子どもには「いかに生きるべきか」を「社会の規範」を植えつけ、ドクサの夢を見ながら眠り続ける大人には甘く快い子守歌を聴かせるのみで、生の原理を積極的に吟味する機会、生を択びなおす機会--を与えない。ここにプラトンの眼差しは向けられたのである。」
(哲学と詩の闘争 p.206-207)


そのあとは実際にお読み頂きたいが、もう少し引用させて頂く。
「彼(プラトン)が対話篇の中にちりばめる豊かな芸術的要素に注目すべきだ。とりわけ『ポリティア』をはじめとする中期著作は、魅力的なミュートスや比喩、アナロジー等、文学的色香に満ちあふれている。それらば、合理的思考(ロゴス)が行き詰ったときに導入され、新たな地平への跳躍を可能にし、さらなるロゴスを誘発する。」
(同p.207)


対話篇を読むにあたり、プラトン対話篇がもつロゴスと詩的比喩のバランスについて関心があるため得心した箇所だった。(ない人はプラトン対話篇をそれほど読まないはずだから)

毎年夏に開催されていた後期対話篇をめぐる講演会で何度か栗原先生には直接お話も聞いている。


久々にまとまった時間を図書館で過ごせた。

2016-08-08-12-03-25




栗原先生、納富先生も書かれている加藤先生米寿記念哲学論文集