熊田 陽一郎
国文社
1986-12




春先に録画してあった<オイディプス>(CS放送)をようやく観ました。小柳菜穂子さん脚本・演出。ソフォクレスのギリシア悲劇の宝塚歌劇バウホール公演。

オイディプスのテーマに忠実な脚本と演出だと思いました、作曲と衣装の方もいい。
いつか同じキャスティングで東京圏内でもやって頂きたいです、ただやはりあまり大きな劇場だとよさが薄れそうなので、できれば東京芸術劇場内のイースト・ウェストからクリエ、または六本木EXくらいの規模がよさそうです。それだとチケットがとれなさそうな気もしますが、日生劇場とか?(見やすい+音響の問題がない)

凪七さん(かちゃ・最近はかちゃぴーと家では呼んでいます)のイオカステは、母であり妻である二重性が良く出ていたし、こまさん(沙央くらま)さんの羊飼いも良かった。報告者/従者が光月るうさん(るみこさん)。この役は重要ですよね....舞台では演じられない部分を観客に指示す、結末を示唆する役目がありますが、それがとても解りやすかった。華形さんのクレオン、憧花ゆりのさんの語りの女も良かったし、コロスの役目をいかしつつオリーブの枝や頭飾りなども良かったと思います。飛鳥さんも良かった。
あくまで放送で観ただけなのですが、小柳さんが演出する他のギリシア演劇も観たくなりました。

オイディプスの解釈については、知ることと光の問題が隠されている。

熊田先生の著作に解釈がある。

知ることと、無知、不知....知らずして幸福なのか、知ってのち思いもよらぬ真実に打ちのめされつつも真実を知るのか。「不幸なものよ」この言葉の重み....
人が人である限りにおいて、知ること、知れることは限定的である。しかしそれは限定的な意味ではなく、寧ろ知者であるとも直知の世界にはいないことを示唆する。



プラトニズムの水脈
熊田 陽一郎
世界書院
1996-08