「寛容論」・・・すべては1762年にトゥールーズで実際に載った三面記事に由来している。
ラヴェスという名の若者がカラス家の夕食に招かれた。ところがあいにく、食後に長男マンカントニが地下室で縛り首にされたまま発見される。容疑者は父、母、兄(弟)、女中、それにラヴェス本人である、。その動機に関しては、疑いなかった。(中略)
市民たちの間に内乱が勃発する。みんなは父親ジャン・カラスを「車刑」に処すよう、容疑者たちは女中を含めて、投獄せよ、と要求する。ジャン・カラスは処刑されることになろう。
しかし三年後、マンカントニは自殺だったとわかるのである。

ヴォルテールはこの話を利用して、読者たちを寛容へと誘っているのであり、激情に引きずられることなく、行動の前に考えるよう誘っているのだ。狂信より危険なものはない、と彼は言う。」

(物語近代哲学史 P.136)


行動する前に、激情にかられることなく、考えること。
「寛容論」の文庫新訳がでたことは聞いていたのであらためて近代についても再考すべきだろう。



寛容論 (古典新訳文庫)
ヴォルテール
光文社
2016-05-12


物語近代哲学史〈2〉デカルトからカントまで
ルチャーノ・デ クレシェンツォ
而立書房
2005-07



物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで
ルチャーノ デ・クレシェンツォ
而立書房
2004-02


ルチャーの近代史は前半はルネサンス思想である。(機