災害支援について。
昨日も東京は千葉沖での地震があり、夜中に飛び起きたかたも多々いるだろう。記憶をたどれば先週日曜日も茨城県中心に震度5弱の地震や余震があった。
私が居住する場所も震度4強は体感としてあったと思う、また地震の揺れ方、震源地、深さなどもできるだけ観る用にしている。
地震の基本的な事柄については、ブルーバックス(講談社)や、鹿園先生の本(大学教科書の地学に採択)を観て頂ければいいのだが、少し気になった世の中の動向について
「熊本物産展(銀座)にひとが押し寄せる」→購買する→( )→復興につながる
「落ち着いたら旅行してお金を落とす」→ 現地で消費する→ ( )→復興につながる
こうした考えをしばしばみます。もちろんその地方の特産品を買うことは生産者には恩恵はあるでしょう。
しかしそれが即、家の半壊、全壊、道路分断などの本来的なインフラとしての復興、日常への復興になるかといえば( )のより具体的なところを通過していて、さらにはもう経済のために消費したらいいというような状況になっている現在。
これらは皆善意からの行動と思います。しかし私が気にしているのは
(我々が熊本の物産を消費する 購買する)=(支援となる)
ということだけでは何も語れないのではないかということです。
次第に関東首都圏での放送は少なくなっています。
しかし半壊以上の家屋が多くいままでとおなじ・・・そう日常の生活や仕事継続の困難などそれらに対して、気がかりになるのです。
もし
物産展・アンテナショップで購入消費)=(家屋の修繕などに対する支援 また進学等の支援)が成り立つとしてですが、その『』ないの事柄がまったく未知数なのです。
ショップでのお買い物はそのうちいくらが寄付金になる明記がありますか?
個人の善意的消費が直結するかどうか。
物を買おう、そしてそれが応援、たしかにそうかもしれません。
しかしながら、例えば支援には多々あります。母校の大学では奨学金や支援のための募金開設をしているはずでず。それら基金は学生に使われます。
私は支援には意義はないのです。しかし、一連の放送を観る中で、はたして、「消費」は直接誰か困窮した状態の方を応援する力にどのくらいなるのでしょうか。売り上げから寄付を行うとかそういった事柄が描かれており、何かしらの方法で支援先が明確になったりするのでしょうか。またそういった税制はないはず。
消費社会は透明になっていき、すでにあたりまえのように浸透している....
災害、則、消費経済、というどこか途中式の抜けている風潮に疑問を持った5月。
:::::
私は街頭であしなが募金に、またやはり進学支援募金にも募金しました。
https://ashinaga.donation.fm/index.html
昨日も東京は千葉沖での地震があり、夜中に飛び起きたかたも多々いるだろう。記憶をたどれば先週日曜日も茨城県中心に震度5弱の地震や余震があった。
私が居住する場所も震度4強は体感としてあったと思う、また地震の揺れ方、震源地、深さなどもできるだけ観る用にしている。
地震の基本的な事柄については、ブルーバックス(講談社)や、鹿園先生の本(大学教科書の地学に採択)を観て頂ければいいのだが、少し気になった世の中の動向について
「熊本物産展(銀座)にひとが押し寄せる」→購買する→( )→復興につながる
「落ち着いたら旅行してお金を落とす」→ 現地で消費する→ ( )→復興につながる
こうした考えをしばしばみます。もちろんその地方の特産品を買うことは生産者には恩恵はあるでしょう。
しかしそれが即、家の半壊、全壊、道路分断などの本来的なインフラとしての復興、日常への復興になるかといえば( )のより具体的なところを通過していて、さらにはもう経済のために消費したらいいというような状況になっている現在。
これらは皆善意からの行動と思います。しかし私が気にしているのは
(我々が熊本の物産を消費する 購買する)=(支援となる)
ということだけでは何も語れないのではないかということです。
次第に関東首都圏での放送は少なくなっています。
しかし半壊以上の家屋が多くいままでとおなじ・・・そう日常の生活や仕事継続の困難などそれらに対して、気がかりになるのです。
もし
物産展・アンテナショップで購入消費)=(家屋の修繕などに対する支援 また進学等の支援)が成り立つとしてですが、その『』ないの事柄がまったく未知数なのです。
ショップでのお買い物はそのうちいくらが寄付金になる明記がありますか?
個人の善意的消費が直結するかどうか。
物を買おう、そしてそれが応援、たしかにそうかもしれません。
しかしながら、例えば支援には多々あります。母校の大学では奨学金や支援のための募金開設をしているはずでず。それら基金は学生に使われます。
私は支援には意義はないのです。しかし、一連の放送を観る中で、はたして、「消費」は直接誰か困窮した状態の方を応援する力にどのくらいなるのでしょうか。売り上げから寄付を行うとかそういった事柄が描かれており、何かしらの方法で支援先が明確になったりするのでしょうか。またそういった税制はないはず。
消費社会は透明になっていき、すでにあたりまえのように浸透している....
災害、則、消費経済、というどこか途中式の抜けている風潮に疑問を持った5月。
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私は街頭であしなが募金に、またやはり進学支援募金にも募金しました。
https://ashinaga.donation.fm/index.html
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