2017年にイタリア ミラノにスターバックスが上陸するというニュースを観た
(国外メディア http://www.repubblica.it/ la Repubblica BBC等)
日本での受け止め方が比較的呑気なので記事を書いておこうと思う次第。
イタリアはヨーロッパにおいてもっともコーヒーの歴史が古い。起源として有名なのは、ベネツィアのアラビア商人たちから広まった。もっとも歴史あるカフェは、サンマルコ広場に面している。イタリアにおけるコーヒーは、飲み物ではない。忠実に定義されたところによると、気体と液体の中間物であり、エスプレッソはその代表的な状態だと思う。だからKaffe (カッフェー)は、カフェ・アメリカ―ノとは明瞭に区別される。まったく別ものだからだ。
私がイタリアに行った時、Firenzeにはマクドナルドは上陸していなかった。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅周辺にツーリスト向けのアメリカン・ピザの店くらい。
ホテルの朝食では、銀のポットにイタリアのあの香りたかいコーヒーが注がれてサーブされ、ミルクはポットに入ってサービスされる。(こどもはショコラ)通常いただくコーヒーもとても香りたかくイタリアでしか愉しめない味だと思う。町のあちこちには立ち飲みのBARがあり、立ち飲みだったら1ユーロで飲める。飲食する場所というよりも街と人と人を繋ぐ場所、コーヒーすなわちカッフェーはそこで美味しくなくてはならない。要するにそういう概念なのであって、日本のような珈琲文化が乏しいところで一人でコーヒーを飲むというような意味は持たない。
ローマは大都市なのでマクドナルドが一件だけあった。(今はもっと増えているのだろうか)日本人はそこで出てくるありきたりないわゆるまずい「コーヒー」を美味しいという。
ありえない...味覚や香りを愉しむ感覚が乏しいのだろう。そういった団体客やビジネスでおとずれる人が多いミラノだからきっと上陸を許してしまったと思いたい。
ロンバルディアはもともとローマ文化ではなく、どちらかといえばフランス 北方に近い。
フィレンェツェも大分、観光化してしまったという。都市がその都市らしさを失ったら、都市固有の魅力はなくなる。
呑気に構えているのは、マクドナルドは否定しても、ディズニーランド的なものをあまり考慮しないでgoodとしてしまう感覚のせいだろう。
なぜ今回ニュースになったかといえば、イタリアは最後の砦だったのだ。ヨーロッパがアメリカニズムを拒否し、都市と共和国とその市民性が防衛してきたものをついにゆるそうとしているという象徴的な出来事なのだ。
まだ2017年には時間がある。このことをもう少し考えてみる必要がある。
(あっというまにスターバックス化されてしまった国内の都市部は何も考えていないか、都市がどんなものかわからない単なるみせかけの「都会らしさ」を夢見ているひとたちだろう)
どこにいっても同じクオリティが必要なのは、何もないところで、何かあるところではない。

写真はFirenze. オルサンミケーレ聖堂を左手側にのぞむ。
(国外メディア http://www.repubblica.it/ la Repubblica BBC等)
日本での受け止め方が比較的呑気なので記事を書いておこうと思う次第。
イタリアはヨーロッパにおいてもっともコーヒーの歴史が古い。起源として有名なのは、ベネツィアのアラビア商人たちから広まった。もっとも歴史あるカフェは、サンマルコ広場に面している。イタリアにおけるコーヒーは、飲み物ではない。忠実に定義されたところによると、気体と液体の中間物であり、エスプレッソはその代表的な状態だと思う。だからKaffe (カッフェー)は、カフェ・アメリカ―ノとは明瞭に区別される。まったく別ものだからだ。
私がイタリアに行った時、Firenzeにはマクドナルドは上陸していなかった。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅周辺にツーリスト向けのアメリカン・ピザの店くらい。
ホテルの朝食では、銀のポットにイタリアのあの香りたかいコーヒーが注がれてサーブされ、ミルクはポットに入ってサービスされる。(こどもはショコラ)通常いただくコーヒーもとても香りたかくイタリアでしか愉しめない味だと思う。町のあちこちには立ち飲みのBARがあり、立ち飲みだったら1ユーロで飲める。飲食する場所というよりも街と人と人を繋ぐ場所、コーヒーすなわちカッフェーはそこで美味しくなくてはならない。要するにそういう概念なのであって、日本のような珈琲文化が乏しいところで一人でコーヒーを飲むというような意味は持たない。
ローマは大都市なのでマクドナルドが一件だけあった。(今はもっと増えているのだろうか)日本人はそこで出てくるありきたりないわゆるまずい「コーヒー」を美味しいという。
ありえない...味覚や香りを愉しむ感覚が乏しいのだろう。そういった団体客やビジネスでおとずれる人が多いミラノだからきっと上陸を許してしまったと思いたい。
ロンバルディアはもともとローマ文化ではなく、どちらかといえばフランス 北方に近い。
フィレンェツェも大分、観光化してしまったという。都市がその都市らしさを失ったら、都市固有の魅力はなくなる。
呑気に構えているのは、マクドナルドは否定しても、ディズニーランド的なものをあまり考慮しないでgoodとしてしまう感覚のせいだろう。
なぜ今回ニュースになったかといえば、イタリアは最後の砦だったのだ。ヨーロッパがアメリカニズムを拒否し、都市と共和国とその市民性が防衛してきたものをついにゆるそうとしているという象徴的な出来事なのだ。
まだ2017年には時間がある。このことをもう少し考えてみる必要がある。
(あっというまにスターバックス化されてしまった国内の都市部は何も考えていないか、都市がどんなものかわからない単なるみせかけの「都会らしさ」を夢見ているひとたちだろう)
どこにいっても同じクオリティが必要なのは、何もないところで、何かあるところではない。

写真はFirenze. オルサンミケーレ聖堂を左手側にのぞむ。
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