今学習している古典ギリシア語学習で練習問題のあとに引用句があり、それを読むのも愉しい。
先日の回では、ソロンが引用されていました。
後期対話篇「ピレボス」で最終的には適度さが重視されますが(それだけではないが)、この元はやはりソロンなのでしょうか。
七賢人について
「七賢人は二十二名いたのであり、正確には次のとおりである。タレス、ピッタコス、ビアス、ソロン、クレオブゥロス、キロン、ペリアンドロス、ミュソン、アリストデモス、エピメニデス、レオンパトス、ピュタゴラス、アナカルシス、エピカルモス、アクシラオス、オルペウス、ペイシストラトス、フェレキュデス、ヘルミオネオス、ラソス、パンピロス、アナクサゴラス。
こういう事態はそれほど驚くには値しない。神聖なテクストによって伝えられてきた賢人の数は夥しいのだ。それというのも。哲学史家たちは誰の名前を挙げるかについての意見の一致を見るには至らなかったし、いやもっとはっきりいえば最初の四名、つまりタレス、ピッタコス、ビアス、ソロンに関しては同意を得た。」
物語 ギリシア哲学史 P.22
デルフォイのアポロン神殿に七賢人が集ったとき、当時の神官は神殿の壁に格言を刻んでもらいたいと各人にお願いしたといわれている。
「その要請を最初に引き受けたスパルタのキロンは梯子をもってこさせて、入り口の正面の破風の上に有名な格言「汝自身をしれ」を書いた。クレオブゥロスは正面玄関の右手、ペリアンドロスは左手にそれぞれに有名なモットーを刻んだ。「適度が最善」と「静かにしているのはよいことだ」を。ソロンは控えめに、前柱廊の薄暗い片隅を選んで、こう書いた。「支配する前にまず服従することを学べ。」タレスは、聖域にやってきた巡礼者たちがみなキオスの祭壇の角を曲がるとすぐに「友人は忘れないようにせよ」という銘に対面するように、神殿の外壁に自分の証を残した。・・・・」
という具合にルチャーは記述する。ぜひお読み頂きたい。
やはり高校までに哲学史はやっておくほうがいい。
「七賢人に話を戻すと、私の理解したことは、知恵というものに対して多少の疑念を抱いても損にはなるまいということなのだ。げんに知恵はとかく理想主義の対極をなしがちなものである。知恵とは良識ないしは、むしろ、豊な人生経験にほかならないが、これに反して理想主義とは、よりましな未来を信じようとする抗いがたい意志のことなのだ。・・・・」
同 P.28
おそらく、イデアに対してアリストテレスが言ったエンドクサはこの知恵のことであろう。
しかしこの二つはそれほど乖離したものでも対立するものでもない。
エンドクサが前提だとすれば、そこからの問題提起がプラトンがしたことではないだろうか。
真偽は定かではないのだが、アポロン神殿に刻んだというのは間違ってはいないようにも思う。
おそらくデルフィのアポロン神殿に書いたことは長い間さまざまな人が読んだであろうしそれを記録して帰ったに違いないのだ。
https://archive.org/details/diogenislaertii00boisgoog
De Clarorum Philosophorum
これを所持していますが、日下部先生の本も出ていますね。
ラテン文学の講演、行きました。
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