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現モバイル版の背景画像に設定しているのは、ヴェッキオ宮の室内装飾です。
芸術家列伝の著者、ヴァザーリが手掛けた室内装飾には、キリスト教およびギリシア・ローマ神話のモチーフが調和した形で描かれている。
このモチーフは今日では、それほど驚かないかもしれない。
しかしながら、マルシリオ・フィチーノがヘルメス文書を翻訳し、饗宴註解ほかプラトンのラテン語訳を完成させたのちに書いた「プラトン神学」の思想的影響なくしてはこの世界観が西欧に根付いてはいないのだ。

現在公開されているボッティチェリ展の年譜には、フィチーノの影響はそれほど反映されてはいない。
フィチーノは感覚的芸術をそれほど快くは思ってはいなかった、しかしながら、視覚および目でみるもの、観ようとする意志についてはその意味を主張していた、彼自身がむしろ芸術といったときに、音律と調和を重視する音楽をより優位においていたせいか、実のところ美術史ではそれほど深く言及されることはない。
だが、フィチーノ思想は彼の意図とは別に、あるいは想定をこえて、影響を及ぼすことになる。
キリスト教とプラトンは相反しないという考えは、<アテネの学堂> <プリマヴェーラ>などにも反映されていくことになる。

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WEB版の背景はサンタ・マリア・ノヴェッラ。
東西合同の公会議が初めて行われ、ゲミストス・プレトンら400人の学者がビザンティオンから招致され、フィレンツェ市民と哲学者はおおいに影響を受け、この地での市民レベルでのギリシア語習得が上昇することになる。もともと、自らの書き残しておくべきことがらを自らの家のために書いておくべし、というローマ共和政以来の伝統によってラテン語の読み書きは高水準であったが、14-15世紀の多言語主義には驚嘆を感じる。
ピコ・デッラ・ミランドラはヘブライ語も習得しており、フィチーノもアラビア語圏のアヴェロエス主義などを読んでいた。

本来、知識と経済の発展には、多言語主義、多様性は不可欠である。
ルネサンスはロマン主義的観想よりも客観性および実践、技術において自然と科学、芸術・学芸を復興させたのだ。

はたして我々は我々に欠如しているものに対して配慮しているだろうか。

多様性は少なくとも2010年までは重視されていた。
しかしながら、今日ではあまりにも内部吸引性が強すぎるために、他の国、他の地域、他の言語でより先進的な事柄を受け入れ活用していくという姿勢、もっといえば気概が失われているように感じる。
また、物事を受容し、判断するための客観性も十分といえるだろうか。


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