2015-04-20-22-28-45
(この画面は自宅の、実際の画面)


http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20150123_685153.html

旧版と新版はところどころ違っていて、それぞれにメリットはあると思うが旧のほうがつかい勝手がよかった。
新版だとさらに強制的な受動映像受信配信になってしまっていて。
こんなことでは某NIKOメディアをもう少し洗練させ、使いやすくして、そのままブラビアに残してもらったがましな部分もある。(しかしTVアプリは、完全にPCで操作できた上でないと、上述アプリ以下の受動的なものになるのでその辺りは保留かつ問題点?)

新しいものは確か履歴機能があるものの、新しくなれば使いやすいというわけでもない例。
Youtubeのブラビア版アプリ。この終了したバージョンのほうが使いやすかった。
新しいものは受動性が強すぎてWEBとの親和性が低い。
いろいろ考えが改まらない層も多いかもしれませんが、メディア同士は複合化して生き残るものでは。
TVでも映画の宣伝しますよね。WEBも同じ。共有されなかったら、無料のトレーラーやダイジェスト、Aパートのみなどがなければ、観てみようかとか買ってみようかとか思うわけがない。
・・・まあ映画はTVもWEBも映画媒体では相互作用がないですね。
だからいいのかもしれないし、他方すたれる原因はそこかもしれない。

受動的に地デジをながしている層が主体的に購買したり、選択したり、消費したりするかといえばそうではない、
多数がなんとなく見てるから効果がある・・・わけありません。受動層はCM批評にも興味がないため、CMになったらチャンネル変えます(昔の家族がそうだった)
多数に売れたらいいというわけでもない、多数者は、多数に転売したり中古に流す計算を含む行動原理なので、おそらく新品はやはり売れないと思われる。

もはや、Aを利用する人がいるからBの利用が減った、Aの利用を制限あるいは禁止すればBの利用は上がるはずだ、という考えでは、何ら問題の解決にも至らないように思われるのだが。

特定のサービスや製品、あるいは既存(この50年以上つづいていてたまたまうまくいっていたシステム)をけなしているのではなくて、あまりにも考え方が30年前と同じことが多すぎて、少々憂慮しているのです。


負の習慣や負の業務を引き継いだらもう何も残らない・・・ 
延長概念の先にあるものは、相手側のもっと安く、もっと軽く、もっと便利にで開発した技術もゼロ下してしまうのではないかという、変なとりこし苦労的気分に陥いりました。

これがプレ5月病なのかな。