年末12月19日から23日(大阪27日)の「豊臣伝授手習鑑 るの祭典(る典)」の上映会が3月14日東京から大阪、名古屋と開催されてますが、もうすぐ横浜です。


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(更新してるように3月14日の豊洲pit、私はジンバランでインド洋を観ていたので(今日、上映会だな)まだまったく振り返り上映会に行ってないのです。)

公式るひまわりblogで、蘭丸日記が更新されたりして観ていましたが、上口明智光秀さんの秀吉宛て、信長宛てがついに公開されましたね!!

タイタニック観たあとに公開されるのがまた嬉しい配慮。
DVDの映像特典に直接に入るのかな、と思っていたのでこのタイミングで観られる、朗読が聴けるんだと思うと嬉しいサプライズです。

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上口光秀様のリーディングに、信長、秀吉、本能寺のあたりの舞台映像がモノクロームで入っているのもいいです。あの殺陣シーンは素晴らしかったし、ドラマ的にいい場面がコラージュされていてうれしい。

る典をみたあと、私が興味があるのは、やはり明智とはどうだったのか、ということと、あれほど権力を手にする前には人々を省みたかもしれない秀吉がなぜああなったのか、ということ。
だからそのうち、光秀から秀吉・・・三成が死ぬ(自害ではなく処刑を選んだ彼)あたりをるひまで観てみたい気もします。

「ロベス・ピエールも学生のときには死刑反対の論文を書いたのです。しかし、のちに彼はこうした人々をすべて殺してしまった・・・・」


権力とはいったいなんなのでしょうか。
今日も変わらないのでしょうか。
人は私性からは逃れられないのでしょうか。
逆にそうならなかった君主は実は世界史でもあまりスポットを当てられていない。

歴史は固定されていません、つねに誰かにとっての価値づけである面がある。
さまざまな観点から見える憶測、推測、謎といわれる事実の断片、伝承とて何かしらのらしさがあるからこそ伝わっている。それをいかに考えるか。推論からあまり道を間違えずに何を物語として得ていくのか。

光秀;天海説は、小学生のときだったか、父親にそういう説もあるらしいなと聞いたもののそれほど詳しくはない。けれどもたしかになぜ日光に明智平があるのか、なぜ三代将軍が家光なのか、家紋であるとかいろいろな憶測はありますね。歴史は一次資料を解読することから始まるのですが、一次資料をある勢力が邪魔だと感じたら焼き捨てることは可能です。
そしてよく言われるのは、焚書をするような政体は、いずれ人も焼き、さらには、その政体勢力自体が焼かれることになる。

サヴォナローラ然り。

舞台の映像を織り込んであって、このリーディング。会場で直にみられていたらもちろん⭐️5つの書簡朗読@る典エピソードですね。
動画でも4.5位ですもの。