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つかこうへい作品 トリプルインパクトと題された3作品が2月12日から紀伊国屋ホールで上演されています。
私が観に行ったのは、<ロマンス2015> です。つかこうへい作品に池岡亮介さんが出る!!というので発表当時から注目していた舞台です。
しかし、ほとんど予習や予備知識なしのまっさらな状態で観に行きました。
普通、舞台は見た直後ぐらいからだんだん忘れていくものなのですが、この舞台は観終わって時間がたつほどにシーンが鮮やかによみがえってくる。演じられる舞台というよりも、舞台空間で「生ききる」ことを描くからだと思う。台詞、シーン、場、登場人物たちの表情・・・が翌日になってからも鮮明。
池岡亮介が素晴らしい。
池岡演じる花村の、シゲルに対する「おまえさあ、、、!!」
と何度も発するのはセリフだがセリフではない、花村のそのときどきの感情、行き場のなさ、シゲルを否定しようとすれば、百合子先生との記憶がゆらめく。だから一度として同じ言葉はない。
つかこうへい作品の舞台を観るのは実は初めてで、映像では蒲田行進曲を舞台化した「銀ちゃんの恋」(宝塚・花組および宙組 大空祐飛主演 野々すみ花 華形ひかる 真野すがた 望海風斗)の映像が好きで、シアタードラマシティ版http://kageki.hankyu.co.jp/revue/backnumber/08/flower_dc_gin/
全国ツアー版、千秋楽版とおそらく3パターンくらいは観ているのですが、実際に舞台で演じられるのをみるのは初めてです。
舞台は和歌山県での競泳全国大会から始まる。
つかこうへい作品にはなぜか、目立ちたがりかつダメなもてる男(銀ちゃんタイプ)が出るのだが、それがロマンス2015においては鈴木勝大演じるところの青木シゲルである。このシゲルに、惚れてしまい、花村牛松(池岡亮介)は、決勝において勝利を譲り、オリンピック候補への夢と目的をシゲルに変換する。
幸福とは何かと聞かれれば、「もうそれ以上は何も望まない状態」なのだ。
比較対象がある間はそれは幸福ではない、状態としての幸福とは、至福を意味する。
花村は泳いでいるシゲルと水面にうつるたくさんの太陽の光をみて、この状態が続いてほしいと思った。
これが彼の至福状態だった。
しかし彼らをコーチングしている教師たちもまたシゲルや花村に恋をしている・・・自分を重ね代償としての生をもとめている。こういう図式は、当時も今もあまり変化していないのではないだろうか。
地縁や血縁の支配下にあるいまだ近代になりきれないところで、母親は息子にいい大学へとかいい企業へとか何か偉人かいい人に、名前かお金か名誉か、他人の人生にそれを重ねてしまう。
そこに尽くしたという代償行為に双方が苦しむ。
なぜロマンスなのか。
そもそも、ロマンスとは受難ある恋愛を示すのであり、苦しまない愛はロマンスでも恋愛でもないのだから。
ほとんどのロマンスというのは代償行為と受苦を伴う。だから語られるのだ。
(グェネビアとランスロット、トリスタントイゾルデ等、苦しみを伴い代償を理解しつつも求めることがやめられないという物語)
しかし、つかこうへい作品が面白いのは、その時代の特徴を的確に描きながらも、大衆メディアが描かなかったひとびとの本当の日常の笑いや苦しみや小さなできごとかもしれないことがらに焦点をあてて照らし出すことなのだと思う。だから、スポットライトがあたればその人の生がリアルなものとして表出するのだろう。
先生は聖職のような風潮はまだあるだろうし、それ以前に個人であるということもまだあまり認められてはいない。杉山圭一演じたところの先生(オカマ先生)は、たとえばGleeではビースト教師のような悩みを秘めており爆発寸前なのだが、職を失ったところでようやく個人としての自由を得らえるような構図は現在とてあまりかわりはないのではないだろうか?
池岡亮介と鈴木勝大のやりとりは本当に素晴らしかった。
この舞台は娘と一緒に観に行ったのだが、帰宅してから観に行かなかった家族がどうだった??としきりに感想を聞いてきた。(夫は隠れ池岡亮介ファンなのだ・・・もうここに書いているから隠れてないですけどね・笑)
これから見らえるかたもたくさんいると思うので、初回の感想はこのあたりにしておきたいですし、時間がある方は観に行ったほうがいいですよ、といえる舞台です。
演出は中屋敷法任。小道具はほぼ、キャベツのみ(!)携帯電話すらエアでアタック破壊してました。
「銀ちゃんの恋」(石田昌也 作演出)のときは、いかにも・・・な時代背景セットで演じられましたが、ほぼ照明の演出と俳優たちの演技、BGM、SEだけで構成されていても場面は浮かぶ。
ただしこれは私が上述した世界観に過去に映像でくりかえしみていて浸っているからすぐに再現されてくるのかもしれないし、いずれ、つかこうへいが考案したであろう世界観をセットつきで観てみたい気持ちにもかられる。
一つだけ何かが足りないと思うならば、2015というならば、より今日的なサイレントマジョリティーの問題をいれてもよかったかもしれない。☆4.5です、あえて言うならば、なのですが。
たとえば、石田作品の(50:50 フィフティ・フィフティ)では、主演二人が逃げ込む村の村長の長男はひきこもり化しており、村人たちの噂の種だ。彼はネットだけで暮らしている。
(というありがりかもしれないエピソードに、制作年を感じることができるのだ)
つかこうへい作品がすごいのは70年代後半や80年代前半の社会描写でさえ、時代錯誤には感じないことだ。
人間観察から導き出された人同士のドラマであって、社会がもつ個の死というものや見捨てられてきた生命、なかったことにされた人たちにもスポットがあたるからなのだと思う。
百合子先生を演じた杉ありさもよかった。杉さんは、とも子と小夏の間のような存在でこの作品でただ一人の女性。つかこうへい作品とかベジャール作品での女性はほぼ記号なのだが、この作品では二つ以上の役割をもたされている役だと思う。
彼女が役を生きいらねば、花村牛松も大石(山崎)も浮かび上がらないのでとてもよかったと思う。
客層もつかこうへい作品ということもあり多層でした。
スタンディングオベーションしたいところでしたが、我慢してしまった、こういうところも本当は日本のいいようなわるいところですね。それにしてもつかこうへい作品には謎のシンパシーを感じるのですが、慶應生から早稲田演劇にいった人なんですね・・・なんだろう、もし表面だけのやりとりだったらそこまでは引かれないのですが、台詞がもつ詩的なものと、日常を描いても光があるところ、そこにコアを感じます。というかそういうことを感じられた演技・舞台でした。
演劇が好きで、時間が可能ならぜひ見たほうがいい作品だと思います。
ちなみに「飛龍伝」の初演は1973年だそうです。さすがにわたしも生まれてませんよ!
でも、この作品も気になるところです。トリプルインパクトというパッケージでDVD化しておくべきだと思う舞台でした。
「ロマンス2015」
作 ・・・ つかこうへい
演出 ・・・ 中屋敷法仁
鈴木勝大
池岡亮介
杉山圭一
杉ありさ
寺内淳志
柳喬介
山崎彬
岡崎大和
鮎川太陽
(公式パンフレットより)
紀伊國屋ホール 2015年2月18日 1900公演
当日はメトロから直接紀伊国屋ホールに行ったため、正面玄関のポスターを写真とれてません。
(▽すみませんが公式Twitterから画像をお借りしました)
カンフェティさんのサイトページ : http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=27814
公式ページ :http://www.rup.co.jp/information/tsukaKouheiTripleImpact.html
トリプルインパクトと山本タカト×泉鏡花 ホールからの帰りで見つけた告知。
お芝居の余韻が消えるのがもったいないので、まだパンフレットの中身は読んでません。
また思い出したら追記します。
舞台は和歌山県での競泳全国大会から始まる。
つかこうへい作品にはなぜか、目立ちたがりかつダメなもてる男(銀ちゃんタイプ)が出るのだが、それがロマンス2015においては鈴木勝大演じるところの青木シゲルである。このシゲルに、惚れてしまい、花村牛松(池岡亮介)は、決勝において勝利を譲り、オリンピック候補への夢と目的をシゲルに変換する。
幸福とは何かと聞かれれば、「もうそれ以上は何も望まない状態」なのだ。
比較対象がある間はそれは幸福ではない、状態としての幸福とは、至福を意味する。
花村は泳いでいるシゲルと水面にうつるたくさんの太陽の光をみて、この状態が続いてほしいと思った。
これが彼の至福状態だった。
しかし彼らをコーチングしている教師たちもまたシゲルや花村に恋をしている・・・自分を重ね代償としての生をもとめている。こういう図式は、当時も今もあまり変化していないのではないだろうか。
地縁や血縁の支配下にあるいまだ近代になりきれないところで、母親は息子にいい大学へとかいい企業へとか何か偉人かいい人に、名前かお金か名誉か、他人の人生にそれを重ねてしまう。
そこに尽くしたという代償行為に双方が苦しむ。
なぜロマンスなのか。
そもそも、ロマンスとは受難ある恋愛を示すのであり、苦しまない愛はロマンスでも恋愛でもないのだから。
ほとんどのロマンスというのは代償行為と受苦を伴う。だから語られるのだ。
(グェネビアとランスロット、トリスタントイゾルデ等、苦しみを伴い代償を理解しつつも求めることがやめられないという物語)
しかし、つかこうへい作品が面白いのは、その時代の特徴を的確に描きながらも、大衆メディアが描かなかったひとびとの本当の日常の笑いや苦しみや小さなできごとかもしれないことがらに焦点をあてて照らし出すことなのだと思う。だから、スポットライトがあたればその人の生がリアルなものとして表出するのだろう。
先生は聖職のような風潮はまだあるだろうし、それ以前に個人であるということもまだあまり認められてはいない。杉山圭一演じたところの先生(オカマ先生)は、たとえばGleeではビースト教師のような悩みを秘めており爆発寸前なのだが、職を失ったところでようやく個人としての自由を得らえるような構図は現在とてあまりかわりはないのではないだろうか?
池岡亮介と鈴木勝大のやりとりは本当に素晴らしかった。
この舞台は娘と一緒に観に行ったのだが、帰宅してから観に行かなかった家族がどうだった??としきりに感想を聞いてきた。(夫は隠れ池岡亮介ファンなのだ・・・もうここに書いているから隠れてないですけどね・笑)
これから見らえるかたもたくさんいると思うので、初回の感想はこのあたりにしておきたいですし、時間がある方は観に行ったほうがいいですよ、といえる舞台です。
演出は中屋敷法任。小道具はほぼ、キャベツのみ(!)携帯電話すらエアでアタック破壊してました。
「銀ちゃんの恋」(石田昌也 作演出)のときは、いかにも・・・な時代背景セットで演じられましたが、ほぼ照明の演出と俳優たちの演技、BGM、SEだけで構成されていても場面は浮かぶ。
ただしこれは私が上述した世界観に過去に映像でくりかえしみていて浸っているからすぐに再現されてくるのかもしれないし、いずれ、つかこうへいが考案したであろう世界観をセットつきで観てみたい気持ちにもかられる。
一つだけ何かが足りないと思うならば、2015というならば、より今日的なサイレントマジョリティーの問題をいれてもよかったかもしれない。☆4.5です、あえて言うならば、なのですが。
たとえば、石田作品の(50:50 フィフティ・フィフティ)では、主演二人が逃げ込む村の村長の長男はひきこもり化しており、村人たちの噂の種だ。彼はネットだけで暮らしている。
(というありがりかもしれないエピソードに、制作年を感じることができるのだ)
つかこうへい作品がすごいのは70年代後半や80年代前半の社会描写でさえ、時代錯誤には感じないことだ。
人間観察から導き出された人同士のドラマであって、社会がもつ個の死というものや見捨てられてきた生命、なかったことにされた人たちにもスポットがあたるからなのだと思う。
百合子先生を演じた杉ありさもよかった。杉さんは、とも子と小夏の間のような存在でこの作品でただ一人の女性。つかこうへい作品とかベジャール作品での女性はほぼ記号なのだが、この作品では二つ以上の役割をもたされている役だと思う。
彼女が役を生きいらねば、花村牛松も大石(山崎)も浮かび上がらないのでとてもよかったと思う。
客層もつかこうへい作品ということもあり多層でした。
スタンディングオベーションしたいところでしたが、我慢してしまった、こういうところも本当は日本のいいようなわるいところですね。それにしてもつかこうへい作品には謎のシンパシーを感じるのですが、慶應生から早稲田演劇にいった人なんですね・・・なんだろう、もし表面だけのやりとりだったらそこまでは引かれないのですが、台詞がもつ詩的なものと、日常を描いても光があるところ、そこにコアを感じます。というかそういうことを感じられた演技・舞台でした。
演劇が好きで、時間が可能ならぜひ見たほうがいい作品だと思います。

ちなみに「飛龍伝」の初演は1973年だそうです。さすがにわたしも生まれてませんよ!
でも、この作品も気になるところです。トリプルインパクトというパッケージでDVD化しておくべきだと思う舞台でした。
「ロマンス2015」
作 ・・・ つかこうへい
演出 ・・・ 中屋敷法仁
鈴木勝大
池岡亮介
杉山圭一
杉ありさ
寺内淳志
柳喬介
山崎彬
岡崎大和
鮎川太陽
(公式パンフレットより)
紀伊國屋ホール 2015年2月18日 1900公演
当日はメトロから直接紀伊国屋ホールに行ったため、正面玄関のポスターを写真とれてません。
(▽すみませんが公式Twitterから画像をお借りしました)

カンフェティさんのサイトページ : http://www.confetti-web.com/detail.php?tid=27814
公式ページ :http://www.rup.co.jp/information/tsukaKouheiTripleImpact.html

トリプルインパクトと山本タカト×泉鏡花 ホールからの帰りで見つけた告知。
お芝居の余韻が消えるのがもったいないので、まだパンフレットの中身は読んでません。
また思い出したら追記します。
☆エンディングに、なんとつかこうへい代表作品ダイジェストとして、飛龍伝、幕末純情〜のキャストによるライブダイジェストがつきます。
池岡亮介さんは、坂本龍馬のセリフを言ってました。
ダイジェスト楽しいけど
芝居の内容忘れてしまう!
と思いながら丸ノ内線のりましたが、最初に書いたように、
一晩たっても忘れないどころか、各場面が再生してくる。
最後、花村(池岡亮介)のすごくよいセリフがあったのですが、ここに記録できないジレンマ。
見に行くことができて本当によかった舞台。
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