
澁澤龍彦のフローラ逍遥によると、蘭の花は西欧文明では悪魔的な花の位置づけになるらしい、まあ確かに他の花と比べてもどこか無機的だ。
薔薇が神秘と同時に自然(PHYSIS)象徴のように思われるのに対して、そういう感覚になるのかも。
秋の花粉症状が酷いです!
なんだろう...春はちょっと花粉の影響か?というくらいでしたが、今年の秋はひどい.....
困るのが眼。何をするにも仕事するにしてもコンタクトレンズをいれないわけには細かいことはできないが、コンタクトをいれているのも我慢の連続...。
ところで、普段感じている操作性とカテゴリー論について.
Youtubeとたとえばニコニコなどの動画サイトの違いはカテゴリーとその関連事項についての操作性だと思う。
Youtubeはたとえば、AについてA'とB、Cといったように同じカテゴリーの同類情報が関連として引き出せる。それに加えてAを見ているが(少し離れたカテゴリーにあるが同様のユーザーが好んでいる)関連情報のSも出てくる。直接の関連はないが、類似性などから異なるカテゴリーのものが提示されてくる。それを選択すると今度はSと並列の情報が出てくる。
これはAmazonも同様で、最初はこのこれに関連するおすすめ情報という案内が邪魔に感じるものだが、ざっくりとテーマや作者の類似性でより好みのものを探すのには便利なのだ。
ネットチャンネルに接続して操作するとこの性質はより顕著で、たとえば動画サイトとしてのニコニコはその情報Aにアクセスしつつ、類似性をもつCやDを探すことはそれほど容易ではない。ましてユーザーの類似性からSを引き出すことは難しいようだ。タグ機能で関連づけられているため、PCならばAからA'やBに接続することは可能だが、カテゴリーとして整理されているわけではなく、あくまで得意なのはAならばAの系列で奥へ奥へと進むほうを指向している。その意味で広がりよりも特定の事柄に結び付いた情報を引き出すことのほうを指向しているか、広がりとしての情報共有はあまり目指されていないように思われる。
AmazonとYoutubeは明確にカテゴリーによる分類をしているため、探すほうもカテゴリーを意識していればとても使いやすいと感じるはずだ。
わかってやっているならいいのだが、気になるのでメモとして...
パソコンを買い替えてますます家電化(およびテレビ化/受動的メディアとしてのTV)しているパソコンメニューにも同様の使いにくさを感じる... まずエクスプローラ的な機能からデスクトップとデータにアクセスするようなWinのシンプルさもあまり感じられないのだ。こういうことを感じるのは少数派意見なのだろうか...
一つの動作から複数の行動パターンの選択肢が示されれば動作はよりシンプルなはずなのに、一つの動作から異なる動作に移るためには元に戻って選択しなおしていくような煩雑さが気になってしまう!!
あまり他の方は感じないのでしょうか。
カテゴリー・範疇論はいいわるいはともかく、物事を整理して共有するにはシンプルな方法なので基本的な近代システムには応用されている。それがグローバルなものになるのもそういう理由がある。
論理学を重視しないこの国特有のシステムなのかもしれないが、改善の必要性を感じないのだろうか...
また別の記事にしようかとも思うが、現在仕事場のヴァニティを改装しようとしているのだが、TOTOとINAXは相互に独自の配管を使っていてリフォームするときの互換性がない!らしい。
こういうことが国内でもできないのだから、国際的なホテルや飲食店などで使われることは今後もないだろうなあと感じてしまう。国内需要が減るのに??なんだかいくら機能性や質を(独自の価値観で)追及しても、それが今日的な快適さには結びつかないかもしれず、選択されない理由になっていくとは思わないのだろうか。
冗長になってしまった。うまく説明できていないが、要するにシステムを提供するにはカテゴリーの意識は必要ではないか、という趣旨で書いている。
自宅はアメリカン・スタンダードの水栓を使っているけれども、配管上無理という問題もない。
いかにスタンダードを獲得するか、それが意識されるか否か、こういうことは結構大きなことだと思うのだが?
特殊性にこだわるのは必ずしも質の高さを示すことにはならない。
そしてかつては無駄と思われたような普遍性についての問いも決して無駄ではなく、少なからず一度は普遍性質について理解しようとする必要がある。そうでなければ、特殊性を適切に説明することも支持されるものを作る観点も適わないのでは?と思えて心配になるのだが。
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