
岩波書店
2005-02-25

プラトン
京都大学学術出版会
2005-06

プラトン
岩波書店
2005-04-26

岩波書店
1975-05

プラトン
岩波書店
1993-04-16

プラトン
岩波書店
1993-02-16

プラトン
岩波書店
1976-01

NHK出版
2013-06-25

納富 信留
慶應義塾大学言語文化研究所
2008-04

納富 信留
筑摩書房
2005-08-08

加藤 信朗
東京大学出版会
1996-02
加藤 信朗
創文社
1997-07
「後期プラトン哲学の探求」と題して、新宿で8月から10月に合計5回の講座が行われた。
私は日程の都合上、荻原先生の「ピレボス」以降しか参加できなかったのだが、10月11日の加藤新朗先生の「法律(ノモイ)」を受講し、一連の「後期プラトン哲学の探求」講座は一応終わりとなった。
しかし、同時に、我々一般読者をはじめ、かつて研究しテキストを読んできた人々のとっても、探求はこれからであるととう思いがした。
「法律」は来るべき理想的共同体政治の際、時の為政者は人間であるから間違うことは多々あるが、それに先んじて法律を制定すべし、というプラトンの提言だったと思う。
私は「国家」に相応、いやそれ以上に「法律」は読まれてしかるべきであると思うプラトン著作で、それは「ピレボス」に対しても同様に思っている。
しかしながら今日では、法律を「解釈」という名のもとに放埓に解釈するうごきが多い。
これはさながら法による秩序に対して、法をもってしてもカオスのようで、私としては非常に居心地が悪いものを感じている。これは一体どういうことなのか。
政治がどの方向をめざしているのかわかりづらい、これは今回の主題にも挙げられたが、同感である。
我々は何を望んでいるのか。
「法律」のなかで残っている言葉は『戦勝でさえ最善のことではない」とうことで、私はそれに同意する。
世の中には、どこかしかの国とのちょっとした戦争状態を想定しているいるような無責任な言動がたまに眼につくが、彼らはその先のビジョンは語っていない、もしくはなにが目的なのだろうか。
はなはだ疑問である。
受講して、そのことのメッセイジ、プラトンを読んだあとに自らにかえってくる自問自答。
それを各自引き受けてなおかつ、次回の課題にすること、講座のなかで言葉による理解を得た時間だった。
加藤先生からは、今年7月の後期語録を纏められた冊子をいただくことができた。
心して、拝読したいと思う。
メランコリア(アルブレヒト・デュラー)に関しても然り。
納富先生からの「ある」「ない」の問題提起には眼が覚めた気持ちがした。
そうなのだ。
ない、とはなんのか。
日本的、禅的な「無」とは違う。
ない、とは非有とは違うであろう。
このあたりはさらに読まねばならないし、機会があれば耳を傾けなければならない。
アンケートを後日提出することになっているので、この1月以内には提出したが、4名の先生方の話にはそれぞれ、聞きたいことが多く、それは同時にこの先の自分の課題をみた気持ちだった。
鉄は熱いうちに叩けという気持ちで、昨日のことがらを綴っている次第だが、私たちは自分でもこの状況を引き受けて、Oui、Non といえるはずである。そしてその説明も。
11月に衆議院議員会館で、政府および官僚の方々に意見交換をする機会がある。
この機会に、論点を整理し、過去をかんがみ先を見据えたなかでの問題提起ができればと思っている。
あくまで代弁者として、そしてあり方を未来志向で語るという意味で、である。
後期プラトン哲学は、以前から惹かれる著作群で私は、「ピレボス」「法律」「テアイテトス」をフォーカスしていたのだが、ポリス的人間をとっぱらったところの人間論という視点を示された栗原先生の話ももっと聞いてみたい。
また、「ある」「ない」というソフィステスと、今一度線分の比喩、および上昇のモチーフについて(中庸に対してのプラトン特色)こうした話を納富先生からお聞きしたいという気持ちが募のる。それには私がもっと理解を深めている必要があるのだが・・・
第一線で活躍される先生がたの対話的セッションを目の当たりにして、ある意味で大変幸福でした。
数の問題やポピュリズムの問題もあるが、かきのこしておく価値のあるものは書き残しておく、という古代ローマの文学に倣い、肯定も否定もそれは後の問題でリアルタイムの記述を行いプラトン主義の特色のひとつ「同位の結合」「上位への転向」「下位への配慮」はぶれなくていいとおもうのです。それが「幸福」にも通じることだから
。
思ったのは、プラトンを研究するとき、多かれ少なかれ、「新プラトン主義」も同時に少し研究したほうが、プラトンにおいて、雑多な疑問を整理できるんではないか、ということです。
すくなくとも、私はそう思っています。
色々と不十分なことがあるとは思いますが、12時間以内の雑感および私が思うところの問題提起の一部であります。
先生がた、聴講され同じく空間をともにされた方々、そして後期プラトン哲学という企画を実現するに至った関係者の皆様に多謝。そしてさらにこの企画はつづけて欲しいと思っている研究者の一端からの声として記録しておきたいと思った次第です。
「後期プラトン哲学の探求」と題して、新宿で8月から10月に合計5回の講座が行われた。
私は日程の都合上、荻原先生の「ピレボス」以降しか参加できなかったのだが、10月11日の加藤新朗先生の「法律(ノモイ)」を受講し、一連の「後期プラトン哲学の探求」講座は一応終わりとなった。
しかし、同時に、我々一般読者をはじめ、かつて研究しテキストを読んできた人々のとっても、探求はこれからであるととう思いがした。
「法律」は来るべき理想的共同体政治の際、時の為政者は人間であるから間違うことは多々あるが、それに先んじて法律を制定すべし、というプラトンの提言だったと思う。
私は「国家」に相応、いやそれ以上に「法律」は読まれてしかるべきであると思うプラトン著作で、それは「ピレボス」に対しても同様に思っている。
しかしながら今日では、法律を「解釈」という名のもとに放埓に解釈するうごきが多い。
これはさながら法による秩序に対して、法をもってしてもカオスのようで、私としては非常に居心地が悪いものを感じている。これは一体どういうことなのか。
政治がどの方向をめざしているのかわかりづらい、これは今回の主題にも挙げられたが、同感である。
我々は何を望んでいるのか。
「法律」のなかで残っている言葉は『戦勝でさえ最善のことではない」とうことで、私はそれに同意する。
世の中には、どこかしかの国とのちょっとした戦争状態を想定しているいるような無責任な言動がたまに眼につくが、彼らはその先のビジョンは語っていない、もしくはなにが目的なのだろうか。
はなはだ疑問である。
受講して、そのことのメッセイジ、プラトンを読んだあとに自らにかえってくる自問自答。
それを各自引き受けてなおかつ、次回の課題にすること、講座のなかで言葉による理解を得た時間だった。
加藤先生からは、今年7月の後期語録を纏められた冊子をいただくことができた。
心して、拝読したいと思う。
メランコリア(アルブレヒト・デュラー)に関しても然り。
納富先生からの「ある」「ない」の問題提起には眼が覚めた気持ちがした。
そうなのだ。
ない、とはなんのか。
日本的、禅的な「無」とは違う。
ない、とは非有とは違うであろう。
このあたりはさらに読まねばならないし、機会があれば耳を傾けなければならない。
アンケートを後日提出することになっているので、この1月以内には提出したが、4名の先生方の話にはそれぞれ、聞きたいことが多く、それは同時にこの先の自分の課題をみた気持ちだった。
鉄は熱いうちに叩けという気持ちで、昨日のことがらを綴っている次第だが、私たちは自分でもこの状況を引き受けて、Oui、Non といえるはずである。そしてその説明も。
11月に衆議院議員会館で、政府および官僚の方々に意見交換をする機会がある。
この機会に、論点を整理し、過去をかんがみ先を見据えたなかでの問題提起ができればと思っている。
あくまで代弁者として、そしてあり方を未来志向で語るという意味で、である。
後期プラトン哲学は、以前から惹かれる著作群で私は、「ピレボス」「法律」「テアイテトス」をフォーカスしていたのだが、ポリス的人間をとっぱらったところの人間論という視点を示された栗原先生の話ももっと聞いてみたい。
また、「ある」「ない」というソフィステスと、今一度線分の比喩、および上昇のモチーフについて(中庸に対してのプラトン特色)こうした話を納富先生からお聞きしたいという気持ちが募のる。それには私がもっと理解を深めている必要があるのだが・・・
第一線で活躍される先生がたの対話的セッションを目の当たりにして、ある意味で大変幸福でした。
数の問題やポピュリズムの問題もあるが、かきのこしておく価値のあるものは書き残しておく、という古代ローマの文学に倣い、肯定も否定もそれは後の問題でリアルタイムの記述を行いプラトン主義の特色のひとつ「同位の結合」「上位への転向」「下位への配慮」はぶれなくていいとおもうのです。それが「幸福」にも通じることだから
。
思ったのは、プラトンを研究するとき、多かれ少なかれ、「新プラトン主義」も同時に少し研究したほうが、プラトンにおいて、雑多な疑問を整理できるんではないか、ということです。
すくなくとも、私はそう思っています。
色々と不十分なことがあるとは思いますが、12時間以内の雑感および私が思うところの問題提起の一部であります。
先生がた、聴講され同じく空間をともにされた方々、そして後期プラトン哲学という企画を実現するに至った関係者の皆様に多謝。そしてさらにこの企画はつづけて欲しいと思っている研究者の一端からの声として記録しておきたいと思った次第です。
プラトン
岩波書店
1975-09
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