「薔薇といえば、もう10数年前の秋に訪れた、イランの古都イスパファーンやシラーズの庭園を思い出す。
イスファハーンは日本ではイスパハーンのほうが一般的だが、私はフランス語ふうにPの音を軽快に響かせるのが好きだ。イランではどこでもそうだが、このイスパハーンも海抜千五泊メートル以上の高地にあるので、陽ざしが強い割には涼しくて、ちょっと信州の高原あたりにいるような気分になる。
 」(『フローラ逍遥』P.126)


イスパハーンといえば現代ではピエール・エルメのショーケースにならぶ薔薇の香りのマカロンケーキを思い出す人もいるかもしれない。しかし澁澤さんのなかでは薔薇といえば、ペルシア詩人のそれやシラーズの庭園(ここにはいったことがないのだが)であって、私にとってもこの地方のかぐわしい花なのだ。
いや、薔薇は花という記号よりも、薔薇というシンボルだ。
センティフォリア種、ダマスクローズ、ダマスカスの名前をとったこの原種にちかいばらは、さわやかで華やかでな香りをもち、千枚の花弁という名前に相応のばらである。

薔薇といったとき、私もまたまだ見ぬイスファハーンやシラーズに想いは飛翔する。育てる薔薇をえらぶとき、そして手入れするときには香り、花弁、原種とのかかわり、作られた歴史を想いかえす。秘する中心をもつ花。
決まって願うのはペルシア、中東地域がかつてのような人とものの十字路であることへの回復だ。イラン、ペルシアといったときの、人々が抱く第一印象の回復を願う・・・

人々がばらを語り、惹かれて手入れするときに、フローラ逍遥で語られるような。
イスファハーンを思い起こせるほどに、シラーズの庭園を語るように、そんなふうに身近になることを願うのだ。



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これは自宅に咲いたオールド・ローズ。


2015年はじめに澁澤龍彦展もあるようですね、種村さんの回顧展は10月中旬までです。