フローラ逍遥

「中世の修道院の庭に植えられていたユリ、受胎告知をはじめとするキリスト教美術にしばしば出てくるユリは、いまではヨーロッパでもめったにお目にかかれないようだ。今日、園芸品種として花屋に売られているのは、もっぱら19世紀の初めに日本から輸入されたヤマユリ、それにテッポウユやカノコユリだからである。(中略)

おお才薄きミューズよ
白いユリをたたえるのに
きみはどんな詩句を見つけることができるか (・・・中略)


ライヘナウの修道院ワラフリート・ストラボーは9世紀前半のひと。植物が大好きで、自分の修道院の庭に植えた23種の植物を歌った。
ラテン語の長詩 『小庭園あるいは園芸について』を書いた。」

最初はだいすきな薔薇の項、イスファハーンの薔薇について読み、日記にかこうと思ったのだが、先日暑いなか、8月中旬に咲いていた自宅のユリを思い出して、ユリのページをあけてみた。

澁澤龍彦の著作でもっとも好きな作品は、『フローラ逍遥』である。
この本が好きで、最初は文庫版を持っていたのだが、初版平凡社の函入りを手元においておきたくなって古書を探した。
澁澤さんの文章は、明瞭だが詩的である。
季節感のあるプリニウス、のようだと思うこともあるし、やはりエピクロスの庭園の哲学者のながれにいるようにおもう。

とても美しく、凛とした感触の箱入りのフローラ逍遥は、書物が一つの作品でエッセンスなのだということをよく理解できる。




本文より抜粋。(P.150)フローラ逍遥



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これは義理父の家からわけてもらったユリだが今年は株がふえてたくさん花がついた。
5本くらいになったところを、私が春に株分けしたので8つくらいにはなっていると思う。
澁澤さんがご覧になったら、これは・・・・だね、とか違うとか言われるのだろうけれども、暑い中白い百合はよく咲いていた。


私が記憶するなかでもっとも美しいと感じたのは、ニコライ堂の前に咲く百合である。
受胎告知で、ボッティチェリの天使が手にするようなややクリームがかった白い百合が群生している。


ときどき、書籍の話をいただくけれども、何か残すとしたらきっと、フローラ逍遥のような本を書きたいと思う。写真、絵画、テキスト、そのころに書けるようならば詩を含むものになると思う。



秋口になったからか、グラミス・キャッスル、ワイルドイブなどがつぼみがついてきた。

秋の薔薇がかえりざいたら、薔薇をもう一度読み返そうと思う。