
朝、庭にでてみたら、ついに、初!のレモンが結実しました。
レモンの木は3年?4年位前に鉢植えで育てはじめました。花がさいたのが去年。
今年の初夏は花がたくさん咲きました。(前年比)
もしかしたら・・・・と思っていたので、大変よろこばしい。
さて8月の本・音楽と備忘録。

第三のローマ―イタリア統一からファシズムまで [単行本]夢のなかの夢 (岩波文庫) [文庫]知識の理論 [単行本]
藤沢 房俊
新書館
2001-11

タブッキ
岩波書店
2013-09-19

ロデリック・ミルトン チザム
世界思想社
2003-04

種村 季弘
河出書房新社
1987-02
『第三のローマ』はイタリア、リソルジメントからファシズムまでの「ローマ」がどのように理念化され、異なる勢力との議論やインフラ整備などを通して形成されたか。
ここのところどうも、日本の近代現代の歴史、というか実態がよくわからない。
ドイツに関してはどちらかといえば戦中記録、戦後文学、戦後映画、63年問題、過去の克服などまだ理解していると思っている。
それで日本が解らないので、イタリアの近現代を参照してみたくなった。
日本史において重要なのは、私たちはほとんど一時文献を読んだり目にしないで、二次資料あるいは教科書だけでとらえていることに無意識なのだ。
例えばおそらく、明治時代の一次資料をみてはいない。何かを語るとき、せいぜい二次資料から語っている。
種村氏の本についてはピグマリオン考察の記事で取り上げた。
タブッキの新しい本が出たということで、過去の中からいくつかまた読み返してみた。
追記で法学について。
入門書も専門書も多く立場によって説明が異なるように思えるが、このところ読んだ中ではとても明瞭に思われたもの。主観と客観が重なる部分や法制史、法哲学的な基礎が解りやすい。
アリストテレス、キケローの法を参照しながらローマ法を説明したり、日本が国外から受けてきた影響とその問題点も指摘されており、私もこれに同意する。なぜならば、近代法はおそらく、西洋近代社会ならば法が参照しているモラルや倫理はやはり新約を根拠にしているのであって、日本の場合それに見合うものがないために倫理的な事柄や価値観が近代法との矛盾にさらされるのではないかと思う。
固有の法というものが純粋にあるとすればあるのだろうが、近代法にのっとって現在の社会を形成したのであって、好ましくないとか固有ではないという理由でこれを正すのは良い結果になるとは私は思っていない。
その点では意識的に、自由の解釈に義務および責任という観点を持つべきであり、ルール自体を我々に合わせてはルールではないのだ。
天秤や定規が概念の根拠になっているのに対して我々はどう法を意識しているのだろうか。
正しいこと(主観)と、公平さ(法の正義)を混同していることが多いのではないか。
<フジロックおよび夏フェスに行けていないコアなマニックスリスナーのための会> を都内hubにて実行!したのですが私が新作をカヴァーできておらず!次回第n次MSP会までにはちゃんと感想を語れるようにします。
2011ソニーから出ているCDは、個人的にいわゆるジャケ買い決定なCDですね...
シルヴィ・ギエムが引退を表明しました(昨日8月14日)
実は彼女のオペラ座時代の全幕公演というのはあまり残っていないのではないでしょうか。
私もすべて持っているわけではありませんが、日本と各国、およびヴェネツィア、ベジャールのボレロなども収録されているON THE EDGE はおすすめします
ドイツ文学ゲーテ勉強会(マリーエンバートの悲歌他)のときに、おすすめのドイツ映画は何ですか?と聞いて教えて頂いた。ちゃんと記事を書きたくてのびのびになっているテーマの一つです。
(粂川先生は現在、東京新聞に月1で記事・コラムを書いています。第2回目はゴジラ!)
個人的な記録?つまり日記・・・
久々に服用するだけでなく、モーラステープを使わない移動できなかった昨日。
今日はさすがに体力が限界になり、半日休みました。だんだん食べられなくなり声もでなくなってくる!
ところで1940年に実は東京オリンピックが開催されることが決まっていたそうです、さらに万博、新幹線開通なども企画され決定されていたそうですが、太平洋戦争が激化したのですべての計画がなしに。
結果1964年以降までこの計画が実行されないというロス。
戦争によって進歩する技術があるという論は正統化されやすい時があるが、戦争をやらなければ豊かさ悪影響おきなかったでしょう。
錯覚してはいけないのは、経済的な反映や均衡は平和なときのみなのです。
文化というものは平和時につくられるパワー(力)なのであってそれは戦争の力と違い継続され、他からみてもマイナスな行為ではない。
当時、つまり1940年代のときに20代-60代くらいの大人であった人が、
なぜそういう戦争をするという決定をしてしまったのか。
このプロセスや世相はもっと知る必要があるのではないか。
ちなみにイタリアの祖国愛や祖国という概念は、領土的なものは一切関わらないところで想定されている。
もう少し読書がすすむ状況になったら再び書くかもしれません。
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”牧神の午後” マラルメ ドビュッシー、ヴァツラフ・ニジンスキー
記事ランキング 本ブログ26位
香港記事、吉原裏同心記事もランキングしていましたが現在はこれらが閲覧してもらっているようです。
香港からマカオへ(2)も輸入住宅カテゴリと薔薇イングリッシュ・ローズでランクに入ってるようです。演劇関連の記事も。
このblog、通常のブログのように、「よかったらバナーをクリックして投票して下さい」の類を一切書いてないのですが(苦笑)
私自身はblogを閲覧していて、いいなと思うものには(拒絶的なところでないなら)いいね、とか拍手とか残すことも多いかな、と思います。
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