後半7話から10話まで(DVDだと4.5に相当)を観てました。
8話「臆病者」は長坂小十郎を中心に描かれる。
居合の宗家である長坂は、医術を志して京へ来たが師が亡くなり途方に暮れたところを同郷人・中倉と出会い新選組に入隊。勘定方を任されている。中倉がある出来事から切腹となり、仇討を土方から半ば命じられて動揺する。土方と長坂、沖田と長坂とのやりとり、他の隊士らとは異なる士道の解釈を秘めている長倉の心情、多くは語らないが滲み出る意志の強さが全編を通じて描かれる。

静と動の対比が緊張感を生む良回。
菊一文字(第11回)や池田屋異聞(第5回)の次に何度も観てしまった。
長坂を演じているのは綾野剛。

第10回は油小路の決闘。藤堂平助、斎藤一を軸に、沖田と土方、沖田と斉藤の会話を通じて、悲哀が描かれる。藤堂の死の後、原田、永倉らの表情を順番に写すのだが、彼らはどう思っていたのだろう。藤堂の死は、自分たちの死そのものではなかったか、自分の死を観ることは人間にはないのだが、それを俯瞰するような無常感。

辻本さんの沖田はノルタルジックな魅力と言われています。でもどこかそれだけじゃない。
ノスタルジックなのはいわゆる「らしさ」があるということですが、そこで描かれているドラマを再生させるような生きた感情が役を通じて表れている。両義的な価値。
笑顔の中に悲哀があって、それがおそらくエターナルなビジョンになる。
それが多分、この沖田に生きているノスタルジーなのでしょう。デジャヴのように感じることも。

私は特に新選組ファンというわけでも沖田ファンでもないのですが、新選組とこの時代をリアルに感じられた作品だと思う。演者の辻本さんもこの作品ではじめて知ったわけではないですし。
今までは新選組がどういう立場だったの大して理解できなかった部分があるのです。
このドラマをみて、それほど遠くない昔が地続きなものとして再考させられた。
そして不変なものも。

外交史が気になると以前書きましたが、今日でもとかく国政に関する人々の関心は「開国(グローバル化)」か「尊王攘夷(いわずもがな)」かの二極な気がします。二元論のままでは実の所何かを解決できないと思うのですけれども、何事につけて二元論で語られることが多い。
そう考えると、新選組は急進的保守勢力運動なのかあるいは積極的保守勢力のような気もします。これは立場上やはり難しい状態になるし、解釈のされ方が様々になることもあったでしょう...。そして生き方方そのもののパラドックス。前作大河の方は階層に焦点を当ててましたが、血風録はよりパーソナリティに迫る。 だから、土方に対する沖田の、こうなることを望んでいましたか、すまないなんて一番聞きたくない言葉ですよ、という言葉が彼ら全体を照らす。死が遠くない自覚。

素晴らしい演者、役者にとっての本職について、製作者・作者側が伝えたいと思っているエッセンスを表現して、観ている人に生きた感情として届けること、とルチャーノ・デ・クレシェンツォが言ってます。

この作品は、そういう仕事を通じて丁寧に作られているのだという思い。 第9話と第10話の藤堂平助(田上)と斎藤一(尾関)のやりとり、袂をわかつ時と決闘にならざるを得なくなる場から平助の最期までも凄い。

一度見ているのですが、もう一度11話を観ます。
辻本さんは好きな俳優さんにヒース・レジャーを挙げてますが、よくわかる気がします。




新選組血風録 DVD-BOX2<完>【DVD】

永井大
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2012-01-21