
国立新美術館でバレエ・リュスの衣装展が開催されるのは知ってましたが、ちらしデザインが好み。ぺトリューシュカの世界や1910年代の新奇かつ復古的な特性を感じるような。
ニジンスキーの薔薇の精。
コラージュの色彩が良い。
バレエ・リュスの世界展は庭園美術館でも開催されましたが今回はどんなでしょうか。
映像コーナーなどでかつてのルグリやピエトラガラ、シャルル・ジュドらの演じたオペラ座のバレエ・リュス演目を流してほしいような。あのDVD を再販してほしいです。
近年ではやはりマチアス・エイマンの薔薇の精が圧倒的に印象に残っています。

オペラ座のビューイングでマチアスとミリアムの眠りが上映されるのも嬉しいです。
ヌレエフ版はプラテルとルグリの版が全幕で残っていないのが残念。
しかし舞台、舞台芸術のほとんどは記録されない、されえない本質があるのだということを再確認する思い。
私達はいつも全てを見られるわけではないし、不可能ななかで可能性を見出だす。時間と空間と身体という限られた条件のなかで少しずつ認知するに過ぎないのだが、そのなかで価値を少しずつ見出だす。読者とテキスト、観客と舞台の関係はそんなところが類似している。
20世紀のオペラ座とバレエ・リュス、創作全般は観客と発信者の相互的な関係が強いなかで隆盛した部分がある。
また文学、音楽、絵画の相関も強かった。主題の再評価が新しい方法でなされたように思う。牧神の午後や火の鳥等。
今日は移動中にキケローを読んでいました。
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