
三田キャンパス 北館ホールにて三田文学会・慶應義塾大学文学部主催による講演会が行われ、出席した。
講演者は齋藤誠氏(一橋大学教授)で専門はマクロ経済学である。原発の専門家ではないものの阪神淡路大震災の頃よりリスクマネジメント、リスク経済を考える事が増え、建築物の安全性などに詳しい立場から問題提示をされてきたという。
2011年11月に『原発危機の経済学』を出版。今回の講演は「私たちは原発問題とどう向き合うべきか?」と題され、社会科学者の立場からこの問題を捉えている。
原発に関する問題としては、原発の安全性について1970年代に稼働し始めたものが安全面で問題が多いこと、そして震災前には問題にされていなかったことを指摘された。1980年代からは技術が向上したものの、2013年7月に原発に新基準が設けられ、これをクリアできる原発はまだまだ少ないことをお話しされた。
齋藤氏は原発に関して再稼働か廃炉かといった二者択一的議論が多いことを指摘。だが重要なのは廃炉にすべき原発と、日本経済をとりまく交易条件を考え再稼働可能な原発とをまず考えるべきである旨をを述べられた。この話を聞き、私は真理は中間にあるという言葉を思い出したが、よりよい選択のためにはまず臆見を退け知らねばならないとの思いがした。
今日の日本経済の国際環境はオイルショック時よりも悪いという。原発に関してはそれぞれの専門分野からの判断をまず明解にすることが重要だと思われた。
齋藤氏の危惧は、福島大一原発の廃炉には多大な資金が必要であることと、現在も汚染水、放射能の問題は収束しておらず早急な解決が必要であるという。もしこの問題が解決不可能であるとしたら日本の国際的な信用は失墜することになるということだった。
脱原発と再稼働の立場についても合意形成には「ゆっくり急ぐ」ことが道筋であると述べられた。より懸命な選択のためには、我々もまた日々の中で状況を知ることに努めなければならないと感じた。
次に、文学部の取り組みとして関根謙文学部長と荻野安奈教授によって「石巻の三色旗-文学部の取り組みー」と題した講演・報告会が行われた。
慶應義塾大学の被災地での取り組みについてはこれまで何度か知ることがあったが、今回は文学部として何ができるのかという命題のもと、訪問・合宿の様子を写真も踏まえた説明があった。自然の豊かさ、怖さ、生の言葉から得られる教訓などを聴き、風化させないことが大切であると改めて感じた。この企画は、荻野先生のところに一読者からかかってきた電話がきっかけであったという。被災地を取り上げた書籍を出版したところ、石巻の漁師の方から「ここはもっとひどい、見に来てくれ」と連絡があり読者と接点をもつことができたという。学生とともに石巻を訪れ、その場にいくことで知ることの多さを語っていただいた。例えば、政府発表では鉄道の復旧率は85%を越えているが、実際には線路はいたるところで分断されており、現在も仙台までは新幹線でいくことができるが、その先、石巻へいくにはバスをチャーターしなければならないという。
私たちは主にメディアを通じるか、こうして脚を運ばれたかたからの言葉や写真から知ることはできない。声が言葉として届くためには、聞く立場の私たちが関心を失わないことが重要だと感じる。
石巻で聞いた震災に備えるべきものとして荻野先生が話されたのは、「ライター、簡単なナイフ、スパナ、油性マジック、印鑑、塩、輪ゴム」であるという。
これらは何日も水も使えない状態で必要なものだという。塩は傷の消毒等、油性マジックは自らに名前を書いておくこと、輪ゴムは止血などにも使えるという。こうした話を聞くと、災害時の非日常性が想像できるように思う。「文学部は何ができるのか」--この問いには、「言葉のちから」と端的に述べられたが、その意味を理解できる講演だった。
講演の後、第二部では「新派のこころで」と題された朗読劇と聴き語りが行われた。
水上瀧太郎原作『九月一日』が劇団新派の4人の俳優陣によって演じられた。この原作は関東大震災を背景にそこに直面した男女の様子が描写される。
音響効果演出と演者による朗読というシンプルな舞台上で、言葉がもつ張りつめた力を感じることができた。
終演後、また帰路の電車内で思ったのは、私達は3.11についてこうした想起可能な作品を残すことができるのかということだった。
日常がある時間と事柄を境目として非日常になっていくこと、出来事の細部、感情。
言葉はそれそのものが共有可能なメディアであって意志によって再生できるものだと感じる。
水上瀧太郎原作『九月一日』が劇団新派の4人の俳優陣によって演じられた。この原作は関東大震災を背景にそこに直面した男女の様子が描写される。
音響効果演出と演者による朗読というシンプルな舞台上で、言葉がもつ張りつめた力を感じることができた。
終演後、また帰路の電車内で思ったのは、私達は3.11についてこうした想起可能な作品を残すことができるのかということだった。
日常がある時間と事柄を境目として非日常になっていくこと、出来事の細部、感情。
言葉はそれそのものが共有可能なメディアであって意志によって再生できるものだと感じる。
この日のテーマは、文学部が何ができるのかという問いのもと、客観的社会科学の分析、ワークを通じての言葉の伝達、そして作品という少なくとも3つの力が再確認できた。
文学の力とは、言葉を通じて生命をつなぐことではないだろうか。私はフィレンツェ・ルネサンスの思想と西洋古典期研究をしていたが、言葉の力とは常に一つの生命を複数につなげていくことが根幹にあると思われる。ロゴスという言葉を持ち出さずとも、言葉による共有はその根源に関わることだと改めて感じた。
文学の力とは、言葉を通じて生命をつなぐことではないだろうか。私はフィレンツェ・ルネサンスの思想と西洋古典期研究をしていたが、言葉の力とは常に一つの生命を複数につなげていくことが根幹にあると思われる。ロゴスという言葉を持ち出さずとも、言葉による共有はその根源に関わることだと改めて感じた。
最後に、聞き語りとして「新派に生きて」(出演:波乃久里子 聞き手:松本康男(松竹株式会社)が開催された。松本氏は塾員で松竹株式会社でながく製作を行われていたという、亡き中村勘三郎氏の逸話をはさみ、今夏に上演される久保田万太郎作品について、波乃さんが丁寧に語られ、新派の舞台についての拘りなどを聴くことができた。
<震災から三年--経済と世相>
平成26年3月22日(土)慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール
主催 慶應義塾・三田文学会 後援 岩波書店・一般社団法人樫の会
三田文學は季刊発行。
三田文學傑作選もおすすめ。

三田文学短篇選 (講談社文芸文庫) [文庫]創刊一〇〇年三田文学名作選 [単行本]三田文學 2014年 02月号 [雑誌] [雑誌]
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