



Snapfishのクローズが大変手痛いです。もともと整理することがままならないため、ストレージにしていただけに、クローズに伴うデータDLも半分もできませんでした。写真は焼いてしまえば、アルバムに保存して残りますが、やはりデータは失われるのも簡単、安易にデータを信じられない世代です。デジカメの容量も大きすぎます・・・、一つのデータが大きくなれば保管するのも多くなる、通信される量も増える。しかしそれを情報化社会といえるのでしょうか・・・。
ただし物的インフラが整備されていない地域ですと、IT化はもっとも手軽に資金も少数で中央アクセスと情報入手が可能のようです。むしろアジアにいくとIT化を感じます。
都市部では本来は、ソフト(要するに人、生き物)のコミュニティ化(疑似ではなく実際の)が必要になっていると思うのです・・・。それが煩わしいからあくまでヴァーチャルなコミュニティ(WEB SNS)になっていくのでしょうか? それはどこか退行を感じるのですが・・・
雨ふりなので暑気のタイ(アユタヤほか)の写真を。
タイだともしも飼えなくなった動物(猫、いぬ)は寺院につれていき、そこで世話されるそうです。それが最良とはいえなくても、もののように捨てられ殺処分されるような日本は早く変わっていってほしいです。
人も生き物も、「居場所」があるかないか、・・・ひょっとしてスマートフォンによって、われわれは自分の居場所を自ら「手のひら」に限定してしまうのかもしれない、・・・何をするにも画面の中しか見ていない・関心なさそうなところを見るとそんな気持ちになってしまう。
または、日本では皆一緒であることを求められるゆえに「ひとりになるために」携帯電話とスマートフォンが必要になったのだろうか? 目の前にいる人とコミュニケイションしないで済むために? それだけ「建前」が必要なのだろうか?
実際にコミュニケイションしないために普及しているツールになるのはどうかと思うのですが・・・・
紫陽花が綺麗です。片付け時にできたアレルギー、まだ薬が効きません。集中しなくてはならないのですけれど。
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