東京バレエによる、モーリス・ベジャール作品「ザ・カブキ」 東京公演は両日観に行きました。

現代の場(ACT1)の冒頭のデザインは、現代のTOKYO・・・あるいは”都会”というものを端的に表していた。
初演は1985年。この作品を「現代」として再生させるために、舞台デザイン、映像作品とも良かったです。
初日に伴内を踊られた高橋竜太さん(先生)が今回担当されたとのこと、映像のコラージュといい、現代人のなにかを忘れて没頭しているさまがモニター、映像、そして音楽ととてもあっていた。
(二日目には舞台でブレイクを踊るのも高橋さんで、実はパンフレット以上に見どころが多い今回の公演・・・とうぜん、12月土日、忙しいに決まっています、でもそんなときこそ、見届けなくては!私も自分のやっていることの意味を確認できもしない!という心境で二日間脚を運びました。

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衣装も鮮やかに、着物も美しくなっていたような気がします。

ところでまず重要なことから書いていきますが、ファーストキャスト、つまり第一日目の配役で、勘平が宮本祐宣さん(先生)、塩谷判官を長瀬さんが演じていましたが、これは私見というよりも観に行った人同士の全員が、逆にするべき!!!!といっていたのを記載しておきます。

塩谷判官切腹の際に現代人である「由良之助」に託すことば、これはこの作品全体を支える重要な記号であり、それがないと現代と四十七士の意味が途切れてしまう。
私が今回カブキ公演をみようと思ったのは、オーチャードで上演されたときの高橋竜太さんの伴内と
平野玲さん(先生)の塩屋判官、小出領子さんのおかるがすばらしかったからです。
しかし平野先生はベジャール作品であれだけ重要な役を演じてきましたがプリンシパルになることなく退団されてしまいました。

長瀬さんは勘平のほうが踊りも雰囲気もあっています、あまりにも意志、死んでもいきつづける意志 Willの精神性が薄いのです・・・。憐憫の感情だけでは、この役は意味が半減する。

宮本祐宣さんの塩屋判官は、前回のベジャール『春の祭典』での生贄のときとおなじく、動作、動き、表情を含めて、「犠牲」とは「再生」のために選別されたものであるという意味が強く伝わってきた。

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言語で語らず、泣き叫ぶわけでもない。演劇的であってバレエでこの物語を伝えるには、感情論をこえなければならない。そういった意味で、これからこの新しい「カブキ(THE KABUKI)」はフランスでも上演される。
そのときに記号論が重要になる。
ファーストキャストでは入れ替えたほうが作品のためにもダンサーのためにも、カンパニーの評価にとってもよい結果になるだろう。これは私見でもあるけれど何度もこの作品をみているアッサンブレ会員の方(初日のチケットをとってくださったRさんに感謝)やバレエを踊っている人、ソシュール言語学、記号論を専門とする方、演劇上演にたずさわっている方とも話した結果であることを付け加えておきたい。

松下祐次さんのヴァリエーションと定九郎もよかった、特にヴァリエーションはすばらしかった。
翌日の小笠原さんもよかったです。そして二日目の現代のおかるを踊った河合さんもよかった。
上野水香さんの顔世は今回はとくに前回と比較してよくなっていた。前回は、顔世がなぜ現れるのか、その意味を彼女はわかっているのかどうかわからない表現だったのだが・・・
桜の枝、その花がおちてきたとき、そしてすべての花がなくなり、枯れた枝を持ち、塩谷判官の精神があらわれるとき、このシーンは、すべて、ほんとうはそこにはいないものを舞台上に、「行き帰らせて語らせる」シーン。
この緊迫感は両日ともよかったが、より、柄本弾の由良之助が素晴らしかった。”今” ”ここで”と かつてそこでおきることも、いつかどこかで起きる事も、無関係ではない・・・・

おかるは小出さんも良かったが、二日目の佐伯さんも良かった。
前回はいるだけで時代の空気を換えることができる井脇さんのお才を、今回は西村さんが演じていた。それもよかったと思う。

とにかく素晴らしい公演でした。
年末に放送するのか、収録していました。DVDでもぜひ残してほしいと思う。

二日見ていると、改めて発見することが多い。そして、黛氏の音楽が素晴らしいことがわかる。

音楽についてはまた改めて。

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一度、記事を書いたのに消えてしまったので(アクシデントはつきものですが)掲載が遅くなりましたが、記録しておきたいと思う。


追伸:当初某媒体に書いた感想も掲載しておきます(公演当日の近況とともに)
宮本祐宣先生、高橋竜太さん(先生)の両日公演を観、黛氏没後を記念した公演を見守る。竜太さんによる現代の日本の場デザインもバックパッカーズ的で面白い。ベジャールの伴内、ローゲなどは狂言回し的メフィストで、作品の要。(だと思っている。)
イデオロギーではなく、詩的な叙事劇バレエ
だと私は思っています。

今週こんな凄い演目を控えて、月曜も2時間の
レッスンをしていた高橋竜太さん(先生)は凄い。

現在この秋3度目の新橋にひとりで滞在。誤字修正、重複部分削除チェックなどするために。
移動するためのエネルギーと時間、自分との闘いのために。