「春の祭典」(ストラヴィンスキー/ベジャール)、
「パーフェクト・コンセプション」(J.S.バッハ・他/イリ・キリアン)
ギエムの「アジュー」(Bye) (ベートーヴェン ピアノソナタ32 第二楽章/マッツ・エック)
*春祭
生贄役:宮本さん、奈良さん、吉岡さん、そして両日出演した重要な役を踊って担っていた氷室友さん(驚異的身軽さ、集中力)がすばらしかった。今の東京バレエによる「春の祭典」は以前よりもさらに素晴らしい。統一感、ベジャールを受け継ごうとしている。生贄選びの場が素晴らしい。私はこの作品は人間と世界(コスモス)と進化論と神話的解釈の中間におけるベジャールのメッセージだと思っている。DNAの持つ語られない物語。吉岡さんの生贄は受容することの意味を知り、その意味を犠牲を「わかって静かに受け入れている」そしてなによりもストラヴィンスキーの音楽を「触れるように」表現していた。宮本さん(先生)の生贄もそのことを自覚しつつなおかつ無言で叫ばなければ、生命体として受け入れなければならない受難を知りながら覚悟をもって生贄に選ばれていることが身体のすべてて表現されていた。長瀬さんの生贄は、なぜ自分が・・?という生贄本来がもつだろう自然的感情がよく出ていた。奈良さんは、選ばれたもののパトスゆえの強さを強く感じた。(Bプロをバルコニー両サイドで一日ずつ、しかも前回の春の祭典も観ている娘は奈良さんの生贄がよかったといっていた。)
Perfect Conception パーフェクト・コンセプション 高橋竜太さんが大変にすばらしい、井脇さん、松下さんもすばらしい。(私は実はこの演目の高橋竜太さんの配役のために両日行くことに決めた公演だったのです)この二つはコンテンポラリー作品としてすぐにこの配役のまま海外公演にかけたほうがよい。それから吉岡さんは長瀬さんとくむのが合う。
実はパソコン不調と自分が半日寝込んだので携帯記入をしたが記事がきえてしまい.......
最近聴いているのはディヌ・リパッティの最後のリサイタル…このリサイタルは重病を押して死の2か月前に行われたライブ録音。若くして死んでいるディヌ。(詳細は「三田文学」でこの内容をふくむ評論を書いている鷲見先生のテクストを参照ください。)![三田文學 2011年 08月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EGJRSkdEL._SL160_.jpg)
三田文學 2011年 08月号 [雑誌]
販売元:慶應義塾大学出版会
(2011-07-11)
販売元:Amazon.co.jp
真に在るもの 価値ある輝きは時がすぎても変わらない。歪んだ現実をあるべき方向に導くもの、美の力はそれゆえに例外的な作用を持つ。
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ集 II
アーティスト:グールド(グレン)
販売元:ソニーレコード
(1994-06-22)
販売元:Amazon.co.jp
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤)
アーティスト:グレン・グールド
販売元:SMJ(SME)(M)
(2008-11-19)
販売元:Amazon.co.jp
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帰宅後、アシュケナージの32番を聴いていました。 人の領域の限界を見たものが表せる世界、・・・ Bプロのこの三つは本当に素晴らしい。「生きる」とは何か・表現とは何か・・・?その問いを持つものならば、始まりと終わりをつねに自問自答しながら、人に希望を与えるものこそが素晴らしい。常識の重い束縛から、人を自由にし、存在を問うことばを現前させること、正しいテクストのように、身体でそれを「踊ること」他の人に「伝えること」明日を紡ぐこと・・・
you tubeではCDで最もよく聞くグールドの演奏を。ギエムの「アジュー」でもグールドの演奏が使われている。
(私が持っているのは紙ジャケット仕様・復刻版のおそらく1990年代の終わり・・19歳くらいのときにタワレコ渋谷本店6階で買ったものだと思いますが・・・)
"ベートーベン / ピアノ・ソナタ第30番,第31番,第32番"
アーティスト:アシュケナージ(ウラジミール)
販売元:ポリドール
(1994-04-22)
販売元:Amazon.co.jp
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日記> 熱は測るまい…どのみち一人で仕事場にこもるのだし…と思っていたが周りが「はかれ」というので検温したらやはり熱〜… 風邪より蓄積疲労(寝ていない…)と思われます。 …ご心配不要です!それからメールの返事は19世紀末の郵便なみ、またはアラベール?並に遅いですが、アラベール(アラベルトゥス)のような他意はありません…謝。
追記>教えてくれた皆様のおかげで仕事場につめており帰宅できていない私ですが.... (やはり食事はしても、胃腸の状態は最悪になります・・・)ピックアップニュース映像観られました。
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/index.cgi?date=111103_1
福島や岩手での公演は、NHKはぜひとも、「ベジャール追悼ガラ」のように「芸術劇場」で放送してほしい。それができなければ、公共放送の意義も問われるだろうと思う。ギエム自身がプログラムで書いている言葉、「モーリス・ベジャールも私がいまこの場(日本、福島や岩手)にいることを望むでしょう」と語っているように。公演後に放送したのだから、ひょっとしたら公演をしっていれば「初めて見に駆け付けた」という人もいたかもしれないのだ。だからこそ、映像は・・・映像が保存できる時代、かつデジタル化されている時代ならば、放送局自体も「できることをやるべき」なのです。 強く、年内の公演放送を希望します。
「パーフェクト・コンセプション」(J.S.バッハ・他/イリ・キリアン)
ギエムの「アジュー」(Bye) (ベートーヴェン ピアノソナタ32 第二楽章/マッツ・エック)
*春祭
生贄役:宮本さん、奈良さん、吉岡さん、そして両日出演した重要な役を踊って担っていた氷室友さん(驚異的身軽さ、集中力)がすばらしかった。今の東京バレエによる「春の祭典」は以前よりもさらに素晴らしい。統一感、ベジャールを受け継ごうとしている。生贄選びの場が素晴らしい。私はこの作品は人間と世界(コスモス)と進化論と神話的解釈の中間におけるベジャールのメッセージだと思っている。DNAの持つ語られない物語。吉岡さんの生贄は受容することの意味を知り、その意味を犠牲を「わかって静かに受け入れている」そしてなによりもストラヴィンスキーの音楽を「触れるように」表現していた。宮本さん(先生)の生贄もそのことを自覚しつつなおかつ無言で叫ばなければ、生命体として受け入れなければならない受難を知りながら覚悟をもって生贄に選ばれていることが身体のすべてて表現されていた。長瀬さんの生贄は、なぜ自分が・・?という生贄本来がもつだろう自然的感情がよく出ていた。奈良さんは、選ばれたもののパトスゆえの強さを強く感じた。(Bプロをバルコニー両サイドで一日ずつ、しかも前回の春の祭典も観ている娘は奈良さんの生贄がよかったといっていた。)
Perfect Conception パーフェクト・コンセプション 高橋竜太さんが大変にすばらしい、井脇さん、松下さんもすばらしい。(私は実はこの演目の高橋竜太さんの配役のために両日行くことに決めた公演だったのです)この二つはコンテンポラリー作品としてすぐにこの配役のまま海外公演にかけたほうがよい。それから吉岡さんは長瀬さんとくむのが合う。
実はパソコン不調と自分が半日寝込んだので携帯記入をしたが記事がきえてしまい.......
最近聴いているのはディヌ・リパッティの最後のリサイタル…このリサイタルは重病を押して死の2か月前に行われたライブ録音。若くして死んでいるディヌ。(詳細は「三田文学」でこの内容をふくむ評論を書いている鷲見先生のテクストを参照ください。)
![三田文學 2011年 08月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EGJRSkdEL._SL160_.jpg)
三田文學 2011年 08月号 [雑誌]
販売元:慶應義塾大学出版会
(2011-07-11)
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真に在るもの 価値ある輝きは時がすぎても変わらない。歪んだ現実をあるべき方向に導くもの、美の力はそれゆえに例外的な作用を持つ。

アーティスト:グールド(グレン)
販売元:ソニーレコード
(1994-06-22)
販売元:Amazon.co.jp

アーティスト:グレン・グールド
販売元:SMJ(SME)(M)
(2008-11-19)
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帰宅後、アシュケナージの32番を聴いていました。 人の領域の限界を見たものが表せる世界、・・・ Bプロのこの三つは本当に素晴らしい。「生きる」とは何か・表現とは何か・・・?その問いを持つものならば、始まりと終わりをつねに自問自答しながら、人に希望を与えるものこそが素晴らしい。常識の重い束縛から、人を自由にし、存在を問うことばを現前させること、正しいテクストのように、身体でそれを「踊ること」他の人に「伝えること」明日を紡ぐこと・・・
you tubeではCDで最もよく聞くグールドの演奏を。ギエムの「アジュー」でもグールドの演奏が使われている。
(私が持っているのは紙ジャケット仕様・復刻版のおそらく1990年代の終わり・・19歳くらいのときにタワレコ渋谷本店6階で買ったものだと思いますが・・・)

アーティスト:アシュケナージ(ウラジミール)
販売元:ポリドール
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日記> 熱は測るまい…どのみち一人で仕事場にこもるのだし…と思っていたが周りが「はかれ」というので検温したらやはり熱〜… 風邪より蓄積疲労(寝ていない…)と思われます。 …ご心配不要です!それからメールの返事は19世紀末の郵便なみ、またはアラベール?並に遅いですが、アラベール(アラベルトゥス)のような他意はありません…謝。
追記>教えてくれた皆様のおかげで仕事場につめており帰宅できていない私ですが.... (やはり食事はしても、胃腸の状態は最悪になります・・・)ピックアップニュース映像観られました。
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/index.cgi?date=111103_1
福島や岩手での公演は、NHKはぜひとも、「ベジャール追悼ガラ」のように「芸術劇場」で放送してほしい。それができなければ、公共放送の意義も問われるだろうと思う。ギエム自身がプログラムで書いている言葉、「モーリス・ベジャールも私がいまこの場(日本、福島や岩手)にいることを望むでしょう」と語っているように。公演後に放送したのだから、ひょっとしたら公演をしっていれば「初めて見に駆け付けた」という人もいたかもしれないのだ。だからこそ、映像は・・・映像が保存できる時代、かつデジタル化されている時代ならば、放送局自体も「できることをやるべき」なのです。 強く、年内の公演放送を希望します。