http://www.festival-tokyo.jp/
フェスティバル・トーキョー
個人的に興味があるのはシンポジウム2つ。以下は公式サイトより*
私たちは何を語ることができるのか?−演劇の想像力を問い直す対話の場。
第一線の実践者や理論家を迎え、震災後F/T11で制作・発表された作品群を具体例としながら、演劇/芸術の実践と社会との接続を確認、問い直すシンポジウム。現場と思想哲学の双方の立場から投げかけられる課題と議論を通し、私たちはいかに演劇の未来を掴みとるのだろうか
http://www.festival-tokyo.jp/program/index03.html
私自身が一番演劇を見ていた時期は・・・おそらく20才前後のとき。新丸子、中野ZERO、パンテオン多摩、スズナリ、スタジオアリス(そろそろ固有名詞が怪しくなってきました)などの時、寺山修二の弟子世代が活動していたときで、蜷川氏や妹尾氏もまだまだそんなに露出していなかったとき。J.A.シーザーの演劇やSOFTBALLETのPVとか好きであろう人にしか進めたり話題にできないのはなぜだろう?
おそらく、「人は自分自身をけなされるとき、自分の好きなもの(趣味)をけなされることのほうが腹が立つ」から「落ち込む」からなのでしょう・・・(たぶん・・・)
フェスティバル・トーキョー
個人的に興味があるのはシンポジウム2つ。以下は公式サイトより*
私たちは何を語ることができるのか?−演劇の想像力を問い直す対話の場。
第一線の実践者や理論家を迎え、震災後F/T11で制作・発表された作品群を具体例としながら、演劇/芸術の実践と社会との接続を確認、問い直すシンポジウム。現場と思想哲学の双方の立場から投げかけられる課題と議論を通し、私たちはいかに演劇の未来を掴みとるのだろうか
http://www.festival-tokyo.jp/program/index03.html
私自身が一番演劇を見ていた時期は・・・おそらく20才前後のとき。新丸子、中野ZERO、パンテオン多摩、スズナリ、スタジオアリス(そろそろ固有名詞が怪しくなってきました)などの時、寺山修二の弟子世代が活動していたときで、蜷川氏や妹尾氏もまだまだそんなに露出していなかったとき。J.A.シーザーの演劇やSOFTBALLETのPVとか好きであろう人にしか進めたり話題にできないのはなぜだろう?
おそらく、「人は自分自身をけなされるとき、自分の好きなもの(趣味)をけなされることのほうが腹が立つ」から「落ち込む」からなのでしょう・・・(たぶん・・・)
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