
先日記事にし、yukiさんから招待券をいただいていた近美でのレオ・ルビンファイン展。
改めてリーフレットを見て開催期間を確認していける日程を思案していたところ、・・・9月10日に作家(写真家)自身による講演会が企画されていることを知りました。
義父のカテーテルステント留置手術に付き添い、翌日に無事に退院・・・を見届けたあと、文字通り、竹橋の講演会場まで「駆けつけ」ました。(どこか、知ってしまったら、見届けなければ、作家・アーティスト自身が語る声をその場で聞きたいという思いがとても強い(ライブ志向)のでしょうか・・・。
2時間にわたる講演は本当に素晴らしい内容でした。
私は上の講演中に撮影させていただいた女性のプロファイル(横顔)の写真や、モノクロの眼の力がつよく感じられる作品に惹かれました。
http://www.momat.go.jp/Honkan/leo_rubinfien/index.html#outline
今回、展示のために来日、そしてこの講演のために前日の昼に来日したレオの言葉は、詩的でもあり、私たち個人と世界を「理解する」「繋ぐもの」のとして心と血の通った言葉でした。
図録には書籍(写真集からの抜粋)のテキストと写真がともに載っています。
今手元にないので、のちほど引用させてもらいたいです。
講演が始まるまで、9.11から十年が経過していることを忘れていました。
レオ氏自身は、その日、ツインタワーから2ブロックのアパートに移りすんだばかりで、何が起きているのかもわからなかった・・・犠牲者と死者は多い、がその周辺で身体的破壊による「傷」を受けなくても、日常が転換してしまうような不安や傷ついた人びとは多くいる。・・・生き残ったからこそ、その傷は深いことも私たちは忘れてはならない。(のだと思う)そして私たちはそれについて語り、記録し、思いだすことができるゆえに、また新たに「感じる」こともできる。諸刃のような不安感が、しかしレオのとる写真からは、彼自身がいうように「救い」を表出し、可能性を感じることがすばらしいと感じるゆえんでもある・・・・
そのことを、講演の後の質疑応答で述べさせていただきました。
また質問として、モノクロとカラー写真作品について、また私はやはり彼がとる写真にうつる人々の表情、ときには目を伏せ、絶望ととなり合わせのようなエネルギーを持つものもある、眼の力、輝きが、観るもの、つまり時と場所を隔てて写真をみる私たちに「問い」かけられているような有機的なパワーがある。
そのことについて横顔をとるときと正面から表情をとるときに何か、特別なコメントがあればお聞かせくださいと質問させていただきました。
カラーとモノクロについては、当初レオ氏自身は大多数はカラー写真になると思っていたそうです。
しかし、よい写真はどれか・・・世界各地のパブリックな場所における人々、群衆の中の個人を写真を選んでいくうちにモノクロームの写真が多くなったという返答をいただきました。
しかしカラー写真もとても重要で、なぜならばこの「傷ついた街」写真集のプロジェクトの発端は、2002年に渋谷街頭でとった一枚の写真がきっかけだからとのことでした。
この写真は、ある日本人女性が被写体になっていて、レオ氏は、彼女は不安にもみえるし何を考えているのか謎めいている、金髪にしており、美しくもあり美しくもない、そういった複数のインプレッションを伝えるのは、カラーでなければおそらくできないだろうと直接コメントを聞けたことはよかった。
私自身は90年代と2000年以降、制御不可能性が世界に顕れ始めていることを感じており、それがいまだに様々なことがらや表現にこだわり問ともつ理由でもあり、そのような意味で9.11もとらえている部分がある。
そのことについてカプラのTurning point とA.ギデンズのRunaway worldを思い起こすのですが・・・ということを述べさせて頂いた。
レオ氏はもし、良心のままに人が行動しずらくなっていてアン・コントロールの状態があるとしても・・・
できるだけそれが平和(peacefull)につながることを願っている、期待しているというコメントをいただきました。
私も、レオ氏の写真をみて映し出されるのが「不安」「傷」「苦悩」「苦痛」であっても、ペシミスティックな気分になることなく、むしろ、可能性のほうを感じた。このことは、本展のとても重要なポイントだと思っている。
いま、ますます不安と傷あとが「透明」になり人々をとりまいているとき、この講演会を企画してくださった近代美術館担当者と、通訳の方、そして、多くのアーティストが来日を拒んだり、虚偽のけがを理由にしてまで来日しないことも多い中、私たちのために、講演の原稿を書き、作品へのコメントを含めて心をこめて語ってくれた写真家・レオ・ルビンファインに感謝したいと思います。
この展示はいくつかの美術館、図書館のリーフレットで知ったのだけれど、脚を運ぶ大きなきっかけとしてチケットを送ってくださったramaramaのyukiさんにも感謝です。
(yukiさんとは、同時に開催されているイケムラレイコ展にご一緒させていただいたので、また改めて感想を書きたいとおもいます。「うつりゆくもの」展 (Leiko Ikemura :Transfiguration / 国立近代美術館(竹橋))も、今、このときに観てよかった、と思う展示でしたので、また感想を書き留めたいと思います)
両展に通じるのは、ひとびとの顔・・・レヴィナスがいうときの「顔」と「存在」・・・・それをどう表現するか、外と自分をつなぐものなのか、あるいは、作品を通じて、自らが気が付いていないもの・・・観ることから自らへも遡っていくものなのか、対となっている展示だと思うので、期間中に、1度ずつ観られることをぜひおすすめしたいです。

著者:Leo Rubinfien
販売元:Thames & Hudson Ltd
(1992-10-12)
販売元:Amazon.co.jp

著者:Fritjof Capra
販売元:Bantam
(1984-08-01)
販売元:Amazon.co.jp

著者:Anthony Giddens
販売元:Routledge
(2002-12-26)
販売元:Amazon.co.jp
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