「芸術とは何か」と問えば、ふざけて、誰もが知っているものさ、と返してもよい--決して馬鹿らしい口答えではあるまい。実際、芸術とは何かについて、うすうす前もって知っているのでなければ、この問そのものすら出せはしないだろう。およそ問なるものには、問うている事柄についての観念、問の中に潜んでいて、それゆえ性質もあれば知られてもいる観念が何がしか含まれているからである。哲学や理論を職としない人々と言えば、素人とか芸術家(この連中は論理的な考え方を好まない)とか初心の人となるが、芸術についてこの人々が、いや大衆さえもがしばしば正しく深い考えを語っているのを聞くと、今述べたことが裏付けられる。
(中略)

芸術の性格を定義するのに心象だけで十分かという疑問には、本当のところ、いかにして疑似の心象と真正の心象を差別して、心象および芸術の観念を豊かにするかの問題が含まれている。
ただの心象の世界が人間の精神にとって、道徳的価値や快楽主義的価値は論外ながら哲学的価値や歴史的価値や宗教的価値や科学的価値をもたなければ、、一体いかなる機能を果すのか(と問われることであろう。)
目だけでなく開いた心と活動する精神とをもとめている人生に向けて、目を開けたまま夢見るほどに空しいことがあるか。純粋なる心象、このような代物を想ってみるがよい!

 もしも芸術が競技や娯楽であるならば、芸術は後戻り、快楽主義的理論の広い腕の中へと倒れ込むことになるだろう−−もともと芸術を迎えたくて、いつでも拡げている腕のなかへである。」


美学綱要美学綱要
著者:ベネデット クローチェ
販売元:中央公論美術出版
(2008-06)
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・・・・ダンテの語る詩行の通り、やはり疑問こそは人間の知性を「峰から峰へ」と駆り立てるものゆえに、真理の足許では不意に疑問が「新芽のごとく」吹き出てくる(『神曲』 「天堂」」 岩波文庫版)。