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中学の同級生のみゆきさんから、にこさんへとお花を頂きました。
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とても淡い色合いで、萌黄いろのカーネーションや水色の小花、白い蘭、ライラック色のトルコキキョウが優しい色合い。愛犬が亡くなって・・・と説明してアレンジしてくれたようです。感謝・・・頂いて3日ですがいまもきれいに咲いています。
実は、自分ではにこを火葬にして帰ってきたときに、愛犬がなくなってそのための花を、と花屋さんに伝える気力もなく、数本バラの花を選ぶのがやっと・・・というありさまでした。

にこさんと拙宅の家族に元気になってもらえれば、ということで本当にありがとう。

「にこさんは仙人のようだったね」とみゆきさんからお言葉を・・・・

みゆきさんと私が学生のときに実家に遊び+泊りにきれくれたときももちろん、にこさんは一緒に住んでました。

にこさんが亡くなり、お別れではないと頭では思っていても、なかなか・・・まだ水を飲む食器なども片づけるきになれません。しかも、夫などはだんだんと過去のことになっているようですし(あたりまえですが・・・)私にとっては20年一緒でいつも気がかりだったにこさんなので、自宅で仕事したり作業していると、階下できゅんと鳴くような気もします。
娘もそうだといってました・・・が。
みなみさんにメールで、一番近くにいるのだから声がして当然だと。


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去年10月ごろのにこさん。仕事場の外装工事を検討したときのナノストーンのサンプルが映ってしまっているのでわかりますが、元気です。このときも9月に倒れて一時危篤状態に・・・でも獣医さんに通い治療と点滴、注射を繰り返して元気になりました。
(獣医さんには、にこに対する御礼状と暑中見舞いのお品を院長先生と担当してくれた先生方にお送りしました)

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頂いたお花をは玄関のコンソールの上に写真と一緒に飾っています。

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台風+低気圧のせいか19日は不調でしたが、早朝から夜23時まで仕事してしまい・・・
結果、翌日は寝込んでしまいました。いけません。
ブロック注射をしにいく日だったのですけれど・・・

「痛み」に対してのレーヴィの短編から引用を。

「そう、痛みを取り除くことなどできない。絶対に取り除いてはいけない代物なのだ。
痛みこそ我らが番人なのだから。
ときに愚かな番人でもある。頑として譲ることなく、自分の義務に病的なほど忠実で、決して疲れを知らない。
ほかのあらゆる感覚ーーはやがて疲れ、消滅してゆくというのに、痛みだけは抑え付けることも、黙らせることもできない。なぜならば、痛みは生と一体であり、生の番人であるからだ。」

(プリーモ・レーヴィ <<転換剤>> より)



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むろん、レーヴィが言っているのは身体感覚としての痛感の意味にとどまらないだろう。
トリノのレジスタンスでアウシュヴィッツにおくられ「選別」の結果、「化学者」であったゆえに生還した彼の短編集には、身体と精神、自他の経験、生死のテーマが簡潔に、アイロニーも含まれて(私が疑念を抱かずにはいられない機能主義的な立場と価値基準にも)書かれている。

図書館の木陰で(短編なのですぐに1つ1つの作品が読める)読んで以来、『天使の蝶』(原題はStorie Naturali) ケンタウロス論、天使の蝶、退職扱い・・・・などどれも興味深い。

(というとあまりにも浅はかな表現になってしまうが、こうした作品は読んでもらうしかない。)


書斎5月

それから、一昨年春くらいの、書斎ソファにいるにこさんの写真です。

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追伸:ようやくにこさんの写真を入れるためのフォトフレームを買いました。
キャトルセゾンでポストカードサイズのフォトフレームを選びました。