
アナベルハイドランジア。蓼科のバラクラナーセリーで4年くらいまえから鉢植えで育てています。
冬にはすべて枯れてしまうアジサイですが、春になると芽吹き、今年も綺麗に咲いてくれます
根が生きており、植物は再生する。太陽の光と水とわずかな人間の手入れで再生します。
大輪のアナベルは、ドライフラワーにもできます。
昨年コッポラさんが亡くなったときも、ちょうどアナベルが咲き始め、ピエール・ド・ローンサールが咲いていたころでした。

今年のピエール・ド・ロンサールは強風と雨、6月の例外的な暑さのため、つぼみもほとんど枯れてしまいました。昨年コッポラさんが亡くなったときには、アナベルとピエール・ド・ロンサールを供えたのを思い出します....

にこさんは私が自室のパソコンで仕事をするときは、天井の高いトップライトの部屋で、少し窓をあけながら私が仕事しているのを待っていました。
自分でお水がのめなくなってからは、水を保水しながら仕事をしていました。
写真は寝室の横で看護しているときのにこさん。亡くなる前日の夕方はまだ食事もとれていたのです。

27日朝に亡くなったにこさんはしずかにお昼寝しているときのようでした。

家族が朝食を食べるときなどは、窓際で一緒のお部屋にいました。
獣医さんには本当なら、月曜の朝にサイエンスADのペースト状の缶詰を貰いにいく予定でした。
その日はほんとうに、にこさんは温かくて・・・亡くなっのかどうかもわからない状態だったのです。
翌日、電話でかかりつけの獣医さんに電話しました。院長先生はじめ、多くの先生ににこさんはその都度助けていただきました。にこさんは暴飲暴食するタイプのいぬはないので、実は6月にした血液検査の結果も良好で、内臓にも心臓もよわくはなく。後ろ足は弱ってきてはいましたが、それでも毎日2回は長い散歩をしていましたし、短い散歩も含めると朝・昼・夕・夜・夜中と8回は散歩にいっていたと思います。それぞれが仕事や出張の合間に、娘も私が仕事や図書館へいくときはかわりにみていてくれたり、3人でとにかく分担していました。
直接の原因はやはり急に3つできてしまった乳腺腫瘍とそれが神経系に転移したことでした。最後に受診したときも本当に、前脚、後足、歩行状態などをみてくれました。
亡くなった報告をしたとき、最後に担当してくれた先生が、実は診察の前に院長先生ふくめ全員の先生で協議して多くの本をもう一度検討してにこの症状がどのような原因でおきているのかを話あってから診察にはいったと話してくれました。前脚の麻痺は、脳のある部分により、腫瘍の影響が神経から脳へ転移していること、でもそのことはまだわたしたちには伝えられないと話し合われたそうです。
そのことを話してくださった先生も、にこさんが亡くなったことを知り、電話口で泣いきながら整然と話してくださいました。にこが危篤状態になったのは3回目ですし、その都度、助けていただきました。
しかしもし私が5月に自分が入院して10日ほど家をあけなければ、腫瘍にも気がついてあげられたかもしれないのです....本当に、亡くなる1週間前まで元気でしたし....
(そのことでもyukiさんには、人間もなくなる直前まで元気で苦しいのが何日かだったというのがいいんだよ、と言ってもらえたのも救いでした。担当医の先生も、呼吸が止まってなくなるのは大往生なのですよ、と声をかけてくださいました・・・)

にこさんの傍に、庭に咲いたアナベルとばら、ブルーベリーの葉、数日前にいただいていたガーベラを一緒にいけました。亡くなったあとのにこさんは、でも突然いなくなってしまったわけではなく・・・・最初は呼吸がとまり、それでも私は心肺停止をただちに「死」「終わり」とは思えないのです。
実家の父がその日の朝にきて、「仕方がないんだから、穴を掘って埋めろ」とだけ言い残して、更にあえて書きませんが色々な暴言を、にこさんとにこさんの死を知ったばかりで泣いている娘の前で言いました。
実は、昨年夏ににこさんの具合が悪くなり危篤状態になったときも、私の父はそういうことを言っていました。
私が論文を書いている状態のときも、常に暴言ばかりいうのですが...
お花をくれたかおりさんに電話でお話して、にこさんはずっといまも家族がいるのを感じているし、聞いているよね、といってくれて、同じ感覚をもっている方とは無理をしなくても同じことを思ったのでした。
私は常に一緒にいました。
月末までの仕事のファイルを完成して出力したり、書類をかいたりしながらも常に一緒にいました。
火葬してこれからも自宅にいられるようにしよう、と決めたのは28日の夕方だったので29日もずっと傍についていることができました。夜中の2時くらいまで、一緒にいたと思います。
30日の朝に隣でずっと見守っていたにこさんの表情が本当に落ち着いて、自然に目が閉じられていました。
私はにこさんが、見守る立場・・・この世界ではなく、より上位の世界に向かったのだと思いました。
本当に安らかな寝顔でした。

犬の年齢を人間換算するとにこさんは96才くらいに相当するとありますけれども、犬の20年の経験、一緒にいた期間のこと、認識(にこさんは最後まで目も耳も鼻もはっきりしていて周囲をよくみていました。)
そしていつも光のほうを向いていました。散歩していても、いつも前へ前へと進みたがりました。
前にも書きましたが、ルチャーが、「犬は知性と理性によって最期まで落ち着いてそのときを迎える」と、いっていますが、本当にそのことを思い出しました。人間はむやみに死を恐れますが、古代ギリシア人は、「どうして死を恐れることがあろうか。それが訪れるときには我々には感知することがないものを」と。
にこさんは、自分があとどれくらい私と一緒にいられるのか、知っていたのだと思えます・・・
だから私が自分の体調不良と年度末の過労状態で10日間入院して家にいないときに、今私が感じている喪失感を感じてしまったのだと思います。・・・
にこさんは、亡くなってからも死後硬直もおこらず、自ら目を閉じました。
火葬のためにおわかれするときもずっとやわらかいままでした。
コメント