
6月27日朝7時前に、にこさんが19歳と半年でなくなりました。
ステロイド剤や栄養食も胃腸薬を適切に出していただくなどして、ペーストの食事もなんとか食べ、トイレもいきたくなると教えて、支えてあげれば自力で排泄できていました。
でも27日の夜中2時ー3時に容態が悪くなり、呼吸がくるしそうになり、私は注射器状のポンプでずっと保水しながら看護しつづけました。
娘の朝食をつくり、お薬をのませようと準備していたとき、にこさんは3回苦しそうに息をし、そのまま息をひきとりました。私が抱っこしているとき、あまりお肉がついていないにこさんの心臓はどきどきと鼓動を感じるのですが、それが伝わってこjないのです。でもあまりにも、暖かくて、心臓が動いていない以外はいつもちょっとうとうとするような表情のままだったのです。実際、その日の夕方までにこさんは暖かいままでした...
「死」を受け入れるのに、数日を要し、庭に埋葬するか火葬してずっとお部屋にいられるようにするか、迷いました... でもやはり1人で暗い土の中に埋葬する気にはなれず、市の動物個別火葬に問い合わせました。
祖父もそこでお別れしましたし、私たちもずれはそこで肉体とはなれることになるからと思ったからでもあります。
問い合わせは夫にしてもらい(私は憔悴しきってしまって、制度を調べることしかできなかったのです)6月30日
朝9時に、火葬をお願いしました。
27日からずっと一緒にいましたが、30日の朝、それまで目をあけていてわたしたちをみていたにこさんの目は閉じていて、そのお顔は数日たっているのに本当におだやかでした。


私がかおりさんにお見舞いでいただいたバラの花をポプリにして、にこさんがおわかれの日に傍におきました。
9時に火葬することに決めたとお知らせしたみなみさんから、7時に「今日はにこさんとのお別れじゃないからね、虹の橋でまっていてくれるからね」とメッセージ頂きました。にこさんが亡くなった日にも「にこちゃんをちゃんと送ってあげなちゃあかんよ」と神戸から夜電話をしてくれて、本当に助けられました。
火葬することにまだ迷いを感じていたときには、yukiさんから「にこちゃんはこれからも室内犬。わたしのぶんもいいこいいこしてなでてあげてね」と電話いただき、本当に支えられました。
斎場の方が、人間と同じように接してくだっさったので救われました。
おわかれの前にお線香をあげるとき、学校へいっている娘の分と一緒に、みなみさんとyukiさんの分もお線香あげさせていただきました。
にこさんは、散歩すきでチーズも好きだったからか?しっかりお骨が残っていて、斎場の方にも驚かれました。
パール色に光る、卵型の骨壷でにこさんは帰宅しました。

20年一緒だったし、いつも気がかりで、にこさんはいつも私のあとをついて歩いていました。
登校する直前になくなったにこさんのことを、帰宅する途中の娘に教えるのは、と迷って帰宅してから、「にこちゃん、亡くなったよ」と教えました。娘が生まれるその日も私はにこさんを散歩していましたし、娘が生まれてからもずっとにこさんはいたので、娘もショックでその日はずっと泣いていました。
(しかし、今は私のことをどうやら心配しているようです・・・)
お花を下さったかおりさんからは、これからもにこさんのはなしをしていこうね、と言って貰えました。
私は、にこさんと27日から一緒にいて、パイドンを思い出していました.....
娘も疲労骨折の状態で、通学しています。
にこさんは、お部屋の中で、お花と一緒にいます。
しかし、私とこの世界と同じ時間をつないでいた数少ない存在が、なくなってしまったように感じるのです。
にこさんに対するメッセージなどを頂いた方、話をきいてくれた方、感謝申し上げます。
高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. 商用利用・写真使用に関しては許可をお取り願います。
コメント
コメント一覧 (2)
見放されたとき、生命や本当の意味での生きるということもできなくなっている、と思っているからですが...
>泣いてしまいました 貴女の悲しみと喪失感 覚悟していてもつらかった事と思います 会話するわけでないのに 確かにかけがえのない存在ですね 自分をただただ慕ってくれる いつも側にいてくれる存在 時間が貴女の喪失感を静かに癒してくれますように
言語形体がちがうだけで、言葉は通じていると思います。
それを理解しなのは動物のほうではなくて、人間のほうなのだと思うことがあります。泣いてくださってありがとう。私もなくなってまだ死が受け入れられなかった当日、5月ににこさんをつれてお家へ訪問させていただいたKさんから、泣いてあげてくださいといってもらえました。
今は、喪失感と同時に、にこさんからもらったものの大切さを実感しています。
一度も、犬とか猫とか子どもだからと老人だからとかそういう風に考えたことはなくて、にこさんは、2ヶ月で親から離されて私が親になったときも、なくなるかもしれないときも、大切なnico、「にこさん」でした。いまもそうなのです。