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写真はフィレンツェ・アルノ河沿い、ポンテ・ヴェッキオ近く、早朝に撮影したものです。(2009.12月)
先頃、イタリアへ行かれた方がいて、フィレンツェの雪景色の写真を頂きました。国立図書館、ジョットの鐘楼、デル・フィオーレ聖堂が一望できる写真で、なんとも懐かしい気持ちになりました。

今年一年ありがとうございました。
今年は同じ分野の研究をしている方、類似した勉強をしている方とも何名か知り合いになることができました。やはり論文執筆中の方(修士論文の方も...)もいて。
以前、はたして自分の論文書きと子の受験が重なっている人がいるのかどうか、と書いていましたが、私だけではないようです。皆それぞれ時間をやりくりし、限界がある中でやり遂げるしかないですし、形にするしかない、そして正しく理解しなければならないのですよね。
そして何よりも求めるものを理解したいのです。

しばしば行き詰りますが、そして自分の義務とともに、やるべきことを成さなければと思います。内的な困難さは、常に過去の記憶との比較によって、怒りや恐れなどの感情になります。(パテーマ)そうではなく、事実を認識すること。現在と自己を認識すること。・・・分ってはいるのですが、克服するのみですね...

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ヴェッキオ宮・五百人広間にある「勝利」(Michelangero ミケランジェロ・ブォナローティ)

ヴェッキオ宮内はフラッシュをたかなければ撮影可能です。(下はミケランジェロ自身といわれる。)

ミケランジェロは大理石から「余分なものを切り捨てただけだ」と答えていた。この余分なもの以外がパルメニデスのいう「有」なのではないか。この造形は「作り上げていく」ものとは異なる。そして私が個人的に確かめた限りでは、素材に人間の力が加えられ完全に完成されたベルニーニの彫刻とは異なる「何か」がある。(人間を含め)物質と精神との間にはいかなる関係があるのか。潜勢力をみるためには、視覚だけでは見えない。

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ローマ・ヴァチカンのピエタはガラス越しに遠くからしかみえないが、デル・フィオーレ大聖堂付属美術館の未完成のピエタは周囲を回ってみることができる。

考えを言語にするということは、自分が理解しえたと「思う」レベルではまだ十分には書けない。そしてそれが、思われから離れ、吟味され、正しく理解されなければならない。それを正しく表記することがどこまでできるだろうか。

とにかく、自分のなすべきことと、家、仕事といった中での義務を果たすこと、それをなんとか両立しなくてはという一年でしたし、春、秋はにこさんの看病もありました。・・・寒くなったので、油断しないようにしたいと感じます

プロティノスはほとんど失明してから、著作を口述筆記で一気に書かせたといわれている。

「他人との関係で苦しみが生じる時には、どうなのだろうか。他人のことで苦しむには、われわれの魂が弱いからである。われわれは、他人の苦しみなどには気づかないほうが身のためだ、と考えていたり、他人の苦しみを観るよりは、いっそのこと自分が先に死んでしまったほうがよいと、それも他人のことを考えるのではなくて、ただもう自分が苦しまなくてもいいように、と自分のことだけを考えていうことがあるが、これがとりもなおさずわれわれの弱さである以上、そのその弱さを取り除いてしまわなければならないのであって、これをそのままにしておいて、他人に不幸が起こりはしないかと恐れるようなことがあってはならない」

それはその通りのなのだが、他のために自分が救われればよいとは私は思われないし、それは義務を果たしていないという自責が起こる。また帰責社会と貨幣経済の現代では、生命が代償に置き換えられる、さらにたとえば家長(日本はそれほど個人に権利があるわけではない)が自らのこと、快さと義務の放棄によって、なおかつ他の家族も死と苦痛も問題ではないとするような立場をとる場合、またそれをひとかけらも顧みない場合、さらに外においてはそうした態度を示しておきたいという場合、・・・
そうした状況では、「他の何物をも考慮しない」ということがどこまで可能だろうか。

・・・・

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アルノ河。真っ直ぐいくとサン・スピリト、デル・カルミネ聖堂へと出る。
この橋の上でよく本を読んでいる人をみかける。
人が一人で考える場所があり、広場があり、市外には自然が広がっている。・・・


ミケランジェロ (岩波 世界の美術)ミケランジェロ (岩波 世界の美術)
著者:アンソニー ヒューズ
岩波書店(2001-09-27)









ピレボス (西洋古典叢書)ピレボス (西洋古典叢書)
著者:プラトン
京都大学学術出版会(2005-06)


世界の名著 15 プロティノス・ポルピュリオス・プロクロス (15)(中公バックス)

著者:プロティノス
中央公論新社(1980-08)


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