manicsの来日が近づいておりこのblogの過去の記事をみていただいている方も多く。ライフ・ブロッド(life blood)まではレビューも書いていました。しかし今日マニックスの初来日からステージをみているという人もほとんどみかけなくなりました...

最近はなかなか音楽だけを聞くということがないのですが(読むことが多いと音楽は聴けなくなる・・・)radioheadの初期アルバムを移動中に久々に聴いたのでStreet Spititを。

悪の原因をどうとらえるか? それは善がかけているからなのか、悪の原因があるととらえるのか?このことは実のところ大きな問題であって・・・しかしいずれにも共通するのは人間の感覚および知性によって変わることができるという考えと現状の周囲と自己認識から始まることに根ざしている。必然の定める力に対してどう働きかけられるのか、という問いがそこには関わっている。

人間の性質(これは時と場合によっていくらか動くものであり大抵の人は愛と自由の座標軸に収まる、という説明がある)で、おそらく詩人から女性の範疇にいるのだとすれば、惹かれる対象が聖人、賢者、および反対側にある反逆者(しかし自由のほうにより近い)に賛同することもある。イギリスのジャーナリズムがマニックスやレディオヘッドの聞き手を分類できないと耳にするがそれはこうした構造によっているのではないか。
あるコアなものがあり、それの拡散によって、求めようとする力によって”趣味”(傾向性)は動くものなのかもしれない。