アッシジは生きているうちに行きたいと思う場所のひとつなのだが、ゲーテが「イタリア紀行」でフィレンツェやアッシジにはまったく惹かれない、むしろ敵対心すら抱いているのを読んだときには妙に納得してしまった。
おそらくトスカーナ以北と以南では「自然」の捉え方が異なるのだろう。

アッシジの聖フランチェスコは二つの意味で象徴的である。
一つ目には、彼の家が富裕な商人の家であり、彼はいうなれば稼業と父兄制度に抵抗した者であり、善き商人とキリスト教(カトリック)が相容れない時代であったことを意味する。
着ていたものを脱いで帰し、「親でもなければ子でもない」という場面は絵画でも描かれているが、およそ子どもが親の価値観を受継げないということはままあるのではないだろうか。修道院文化とはおそらく・・・戦士と騎士文化と、父兄制度に支えられた体制そのもの対する抵抗の諸形態であったのではないだろうか。などと考えてしまうのである。
こうしたことは私の無知によっていることは承知している。
だが、血縁と地縁を超えた価値観がローマのキケロから発して人文主義に受継がれるとき、価値の共有は場所と利害をこえてうけつがれるのである。

都内の歴史ある寺に菩提寺を持つのだから余計なことを考えてはいけないのかもしれない。しかし私はフランチェスと同様に実父に対しては同調できない。また、単なる先祖崇拝と体制維持だけを目的とする価値観もまた・・・違和感以上のものを感じるのである。
こうしたことを「思う」ことすら相応ではないのかもしれない。
だが、私はおそらく、もし存在し生存する価値があるとすれば単に「墓」を守ることだけを求められているのである。だが私としては、一者に帰還することを望んでいる。・・・幼少時の教育というのはやはり張り付いてはなれるものではない。私の周りにはやはり、家は仏教なのに教育はキリスト教のものを10年近く受けていた人が何人かいて、一様にギャップを感じている。

ルイス・ネイミアは晩年に改宗してようやく心の平安をえたと書いているがこうした経緯はよくわかる。逆にほとんどの場合は、内面の問題や理性の問題というものが「悩み」「苦悩」「葛藤」にはならない人が多い環境では口にはおよそだせない。
おそらくほとんどの日本人にとって理性と内面の問題はあまり問題にならないに違いない。だが、あきらかにそこにはギャップがある。・・・・・

なぜか生きているにもかかわらず、単に死に直面しているような心持に常に置かれるのである。もしくは、マニックスのジェイムスやニッキーが方っていたような「自分たちはすでに過去の遺骨ように感じる」という思われにとりつかれている。
しかも、納得いく死もまた容易には選択できない。
おそらく、古代自然哲学者がしたように、死を受け入れ、餓死による自然死を選ぶことしか遺されてはいないのだ、と感じるのである。

そもそも墓石の保存とその状態維持のために生きているのであれば、私はもう人ではない。人間性が残りつつも人格としてはほぼ無視される家庭環境というものにつねに置かれている。私は墓石よりも存在意味をもたない、単なる石以下のもののである。または、「やりたくないこと」を単に無償で引き受けるための存在である。
石でも生命はあることを考えると、私はもういないも同然である。モノを観る石のように、何か観たことを記録するのみである。・・・・・

マニックスの面々が、自分たちが過去の遺骨のように感じるというのには同調できる、常にするくらいである。がそれ以上に私にはイデオロギーと無関係なところで、まるで遺骨にしか感じられないことが多い。

ヨーロッパは常に戦い(戦士・騎士)の文化とそれと対立する教会(古典的哲学も一部は保存されてきた・絵画もまたそうである)との並存であった。現代の前者の文化はなにか。おそらくそれは産業化、商業化、市場の力とそれに疑問を持たず妄信し、所有消費し、他者の領域を支配する経済の力である。もはやこれと共存する文化の道はないようにも思われるのである。・・・こうした思いもまた思い過ごし、なのだろうか。