
諸橋近代美術館は裏磐梯・五色沼入り口近くにあるダリ作品を多く収蔵している美術館です。10年ほど前に一度行ったことがあるのですが来訪しました。10年前と変わらなく落ち着いて作品を観られ、10年前よりも収蔵作品も増え、とても見応えのある展示内容でした。
大型のダリ彫刻が広く明るい自然光に満ちた館内に飾られている。
展示室には絵画作品が並ぶ。
現在二つの企画展がありダリと印象派、ダリと偉人たちという展示がある。印象派のほうでは、ユトリロのモンパルナスとモンマルトルの二つの絵画、白の時代と色彩の時代の二つが並べられていた。ピサロの作品もある。
偉人たちのほうでは、ミケランジェロ・ブォナーローティの「奴隷」(ルーブル所蔵)を模した彫刻、マルシリオ・フィチーノが「肉体は魂の牢獄である」とした思想から影響を受けたミケランジェロ作品は製作途中の4体がアカデミア美術館(フィレンツェ)、完成形がルーブルにあるが、現代人はテクノロジーから呪縛されているという解釈のもと、彫像にはタイヤがはめ込まれている。ドナテッロのダヴィデ(バルジェッロ国立博物館・フィレンツェ)からインスパイアされたものもある。他にカノーヴァ作品からインスパイされたものもある。ダリは盛期ルネサンス期から影響を受けたがそのことがよく顕れている。模倣というよりもオマージュ的、しかもユーモアに満ちている。ダリは画家に独自に採点をしており、レオナルド、ラファエッロ、フェルメールなどに高い評価を与えている。逆に低いのはモネなど。こうした観点もまた面白いというか、納得できる。
いつも思うのだが、技術が不十分なことを「感性」「個性」という言葉ではぐらかす傾向は19世紀から顕著となる。
なんとなくわかる、という曖昧な感覚で他を捉えようとし、自己を表現しようとすることは・・・・実は誤解を深めるだけなのではないか、と思うことがある。感性を重視してマニエラな気質を軽んじるようなものは、結局のところ「形」をとどめることもできない。
印象派の絵画をじっと眺めるのが好きな人というのは、結局のところその作品に自分を見たいのだ。自己の感覚を循環するものは、認識もまた循環するだけである。しかし、精密に描かないはずの印象派絵画が、デジャヴに似た錯覚を与えることは詩的である。ほぼ一瞬だけ認知の中に捉えられるような色彩と光を描いている稀な作品もいくつかはある。写実表現よりもこれらが鮮烈な印象を持つとき、印象派というそもそもは揶揄をこえた呼称が、絵画と文化史の中で独自の価値が見出されるときである。

彫刻が置かれている展示室には、窓が多い。
そこから見えるのは風景画のようでそれがこの美術館のほかにはない特徴でもある。
ミュージアム・ショップとカフェも併設。ニルギリ・ストレートティはポットで提供され、ブラッド・オレンジゼリーとのセットにもできる。コーヒーはトラジャコーヒーにこだわっていて、カフェだけの利用も可能。
スタッフの対応や館内外の環境もよいので、よくある地方の美術館というレベルを超えてお薦めできる美術館だと思う。
地方のこうした施設が行政管轄な故に役所的だったりして作品がかわいそうになることがあるのだが、ここの作品は幸せだなと感じる稀な美術館である。
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