映画 パリ・オペラ座のすべて(原題 La Danse,le ballet de l’Opera de Paris)でも一部舞台映像が観られるジェニュス。
マチアス・エイマンが本当に素晴らしい。ル・パルクは奇跡的に日本で全幕上演ができた演目だが、ジェニュス、シーニュも上演されるとよい。だんだんとバレエ、舞台芸術、言語表現を隔てていた空間が以前よりは密接になってきている気がする。
日本は有と無の二つの極限を理解する客層がいないわけではない、どちらかといえば多いほうだろうと思う。言語を解さないバレエは実はもっとも言語的でもある。言語的であるということは、記号論を超えている。精神というものが物質を離れても存するということを説明なく直知できることは実は重要なのだと感じる。
同ジェニュスからドロテ・ジルベール
ダーウィン進化論をテーマにした(といわれる)ジェニュスだが、しかしそれは生成そのものにまで踏み込んでいる。実のところそのことを表現しようとしていること自体が、人間が進化論の枠内にとどまるものではないことを示しているのだ。そのことを一言の言葉も用いずにオペラ座のダンサーたちは表現する。この演目が上演される機会と映像作品としても残ることを期待している。
音楽や舞踏を記録するかいなか。
それはすで20世紀初頭から問われている問題だが、価値は遺されるべきだと私自身は思う。瞬間ごとに消えていくから永遠に根ざしているという美学を超えることが課されているように思う。
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