ボルゲーゼ展には先日2/7(日)の講演会の際にも行きましたが、土偶展の帰りに再度立ち寄りました。
都美術のブックショップでSACLA(日本語版は東京書籍)のレオナルドとラファエッロ・サンティ、ミケランジェロを売っているので要チェックです。サンドロ・ボッティチエリとラファエロの額絵もここでイタリアから輸入されたものが売っています。
ボルゲーゼ展のグッズ売り場では、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が出品していますが。限定品オーデコロンを購入しました。前回も少々気になっていたものです。ダンテの『神曲』をモチーフにし、人間の天使と悪魔の両方の要素(香り)を自分で調合できるオーデコロンです。

ダンテ・アリギエーリはフィレンツェを追放されたあと、『神曲』を書きながら生きた。当時の人々は本当に「呪術・錬金術」にダンテが通じていると恐れたので、ダンテに実名を書かれた人は、贖罪をもとめて礼拝堂をつくった、スクロヴェーニもそのひとつ。地獄篇の彼の怒りはすさまじいものがある・・が、
この限定品は本をモチーフにしたボックス入りで、天国(paradiso)と地獄(inferno)の2種を自分で調合できる!のです。ビーカーとブルガトリオ容器つき。

天国のほうは、ゆりなどのフローラルな香り。レオナルドやボッティチェリの描く、受胎告知の百合を思い出す香り。すがすがしく甘美で高貴な感じ。
地獄のほうは、ムスクなどの甘めで温かみのある香り。乳香も入っていそう。
Infernoのほうが好みかもしれません、まだ寒いせいかもしれませんが・・・なので、調合するときは1:2くらいにするつもりです。
春先の陽には、パラディーゾの香りが合いそうです。

ダンテのコムーネ的気質よりも、コスモポリタン的人間性に惹かれます。
「私はどこの空の下でも生きられないでしょうか」と、ブルクハルトも引用しているが、ルネサンス的ユマニスムとは、こういった人間性と自律・自立に拠っていると私は思うのです。
カラバッジオが今回よく見えた。
目の光のリアリズムに息を呑む。劇的で絵画的でありながら、実存感に満ちている。人の呼吸を感じる。キアロスクーロ(明暗法)の中に、それが息づいている絵画である。
グエルチーノの「放蕩息子の帰還」もすばらしい。
他のグエルチーノ作品もみたくなる。
ガラスを通して外界の光が描かれ、ドラマ性はカラバッジオの影響があるが、次の時代の絵画への橋渡しをしているような絵画だと思う。
近くによると、光が反射してしまい、いつもながら都美術の展示方法はあまり満足とはいえないのが難点。サヴォルドとギルランダイオの作品も改めてよかった。
やはりフィレンツェとローマは美術・建築・彫刻好きには見果てることがないと改めて思う。
都美術のブックショップでSACLA(日本語版は東京書籍)のレオナルドとラファエッロ・サンティ、ミケランジェロを売っているので要チェックです。サンドロ・ボッティチエリとラファエロの額絵もここでイタリアから輸入されたものが売っています。
ボルゲーゼ展のグッズ売り場では、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が出品していますが。限定品オーデコロンを購入しました。前回も少々気になっていたものです。ダンテの『神曲』をモチーフにし、人間の天使と悪魔の両方の要素(香り)を自分で調合できるオーデコロンです。

ダンテ・アリギエーリはフィレンツェを追放されたあと、『神曲』を書きながら生きた。当時の人々は本当に「呪術・錬金術」にダンテが通じていると恐れたので、ダンテに実名を書かれた人は、贖罪をもとめて礼拝堂をつくった、スクロヴェーニもそのひとつ。地獄篇の彼の怒りはすさまじいものがある・・が、
この限定品は本をモチーフにしたボックス入りで、天国(paradiso)と地獄(inferno)の2種を自分で調合できる!のです。ビーカーとブルガトリオ容器つき。

天国のほうは、ゆりなどのフローラルな香り。レオナルドやボッティチェリの描く、受胎告知の百合を思い出す香り。すがすがしく甘美で高貴な感じ。
地獄のほうは、ムスクなどの甘めで温かみのある香り。乳香も入っていそう。
Infernoのほうが好みかもしれません、まだ寒いせいかもしれませんが・・・なので、調合するときは1:2くらいにするつもりです。
春先の陽には、パラディーゾの香りが合いそうです。

ダンテのコムーネ的気質よりも、コスモポリタン的人間性に惹かれます。
「私はどこの空の下でも生きられないでしょうか」と、ブルクハルトも引用しているが、ルネサンス的ユマニスムとは、こういった人間性と自律・自立に拠っていると私は思うのです。
カラバッジオが今回よく見えた。
目の光のリアリズムに息を呑む。劇的で絵画的でありながら、実存感に満ちている。人の呼吸を感じる。キアロスクーロ(明暗法)の中に、それが息づいている絵画である。
グエルチーノの「放蕩息子の帰還」もすばらしい。
他のグエルチーノ作品もみたくなる。
ガラスを通して外界の光が描かれ、ドラマ性はカラバッジオの影響があるが、次の時代の絵画への橋渡しをしているような絵画だと思う。
近くによると、光が反射してしまい、いつもながら都美術の展示方法はあまり満足とはいえないのが難点。サヴォルドとギルランダイオの作品も改めてよかった。
やはりフィレンツェとローマは美術・建築・彫刻好きには見果てることがないと改めて思う。
コメント