キーロフ・バレエの「海賊」はアルティナイ・Mがメドゥーラを演じ、これをみると他のキャスティングでは観られないといわれる舞台のDVDである。キーロフ(マリインスキー)の「海賊」は3幕の花園の場も素晴らしい。19世紀ロシア古典バレエの粋を感じる。
それと同時にやはり思ってしまうのは、ロシアによるオスマン・トルコへの偏見...というといいすぎかもしれないが、やや偏った見方である。「ハレム」はスルタンの個人的な空間、つまり「家・私生活圏」を意味するものであって、パブリックな空間との区別として用いられる。しかし、ルノワールや19世紀フランスの画家たちによるい「ある種のイメージ」の氾濫が指摘されている。エドワード・サイードの「オリエンタリズム」を参照。

当時の状況を考えると、ハプスブルグ家とオスマン・トルコに対して、ギリシア(歴史的ギリシアといってもいいかもしれない)を独立させようとしていたロシアという図式がある程度そこに関係しているのではないか、という気もしてくる。

話は逸れてしまったがこのDVDは実にクオリティが高いし、マリインスキーの前回来日公演でみた「海賊」も素晴らしかった。アンドリアン・ファジェーエフのランケンデムはマラーホフのランケンデムと並んで実に見ごたえがある「脇役」ぶりだった。

アルティナイ・Mは、英国ロイヤルの「ラ・バヤデール」のニキヤも踊っている。何度か書いているがこのDVDも素晴らしい。パリ・オペラ座の「眠れる森の美女」と同様、必見のDVDだと思う。この辺りのDVDも実に数年前に比べて購入しやすい価格になった。ダーシー・バッセルのガムザッティも素晴らしい。


同じ「海賊」でもアメリカン・バレエシアターでは、奴隷市場などの悲壮感はあまり感じられない演出になっている。しかし最初に観る「海賊」としてはお薦め。ホアキン・デ・ルースも素晴らしいし、アンヘル・コレーラのアリは何度みても素晴らしい。マラーホフがランケンデムを踊っているのもいい。
ABTでは、オダリスクのヴァリエーションは、1幕のギュリナーラの前に入っているのが特徴。まだプリンシパルになるまえの、ジリアン・マーフィがオダリスクの第3ヴァリエーションを踊っている。

大きくことなるのは、ストーリーの枠組みかもしれない。
ロシア・キーロフ版では、助けてもらった海賊たちが、恩返しとしてメドゥーラたちを救出する。そして新しい船出で幕が下りる。こうした些細な違いが重要である。
古典バレエは形式化している部分もあるが、「眠り」の象徴性や「白鳥」の両義性、「海賊」の「相互的な救済意識」こうしたバックボーンはそれだけに重要なテーマだと私は思っている。


最近、キーロフの「ライモンダ」もDVD化された。ボリショイの「ラ・バヤデール(バヤデルカ)」も映像化されないものかと思っています。