現代に顕著な現象として語られ、問題とされる「私化」についてまとめることは私の課題の一つでもあるのですが、バンジャマン・コンスタン「民主主義への情熱」ツヴェタン・トドロフ著は実に読みごたえがあった。
コンスタンは長らく、一貫性がないと捉えられていた思想家・政治理論家でもあり、しかし日本では「アドルフ」(岩波文庫)の著者としてしか知られていない部分もある。19世紀のフランス(現代でもある意味そうだが)文学はローマ時代くらいの多元性をもっていた、つまり政治理論家が短編小説を書き、ゴーティエなどは詩人でありながら台本を書き、芸術評論でも多作だった。ボードレールもその系譜の多元性をもつ。つまり翻訳家であり、評論家であり詩人だった。
話が逸れてしまったが、バンジャマンコンスタンはナポレオンがいた同時代において、モンテスキューとルソーの間で法と政治、自由の概念と権力、公共と私圏についてそれぞれ問答している。彼の翻訳は現在進行形な部分もあり一部読んでいるが大変興味深い。それは、現実を見据えながら、あるべき状態を模索する人間の志向と実現の過程への問いである。
新旧論争の時代、コンスタンは古代人の公共圏と近代人の私圏を考察する。
この視点は実に新鮮だ。なぜならば、私圏への偏りを問題視するとき、多くは古代の起源との比較の後行き詰まってしまう場合が多いからだ。
彼の言う、自由主義的民主主義とは原理原則のようで、実は現代においても実現されていない部分がある。デリダは「来るべき民主主義」と書いているが、コンスタンの文章はモノローグの対話である。
心理描写の妙を絶賛されるコンスタンだが、この政治理論においても大衆と権力者集団との心理にまで分け入っており、それがこうした考察を可能にしているのかもしれない。
民主多数決の原理はその構造自体と結果の権力の行使者の在り方によっては、専制的民主主義という逆説的な社会が生まれてしまう。(そしてそれは実際にあり得ることであるし、歴史ですでに顕れた通りである)
創作の上でも、コンスタンは日記においても、自己の中にある公衆について意識する。また同情や苦悩を自己表現には用いない。
トドロフは注解する。
「言語という媒介物を介して、「観客」、公衆はわれわれの内部にある。日記と差し向かいでいてさえ他者を逃れることはできない。完全な独立とは虚しい夢である。」
「「私は苦しんでいる」と言うことは、あらゆる苦しみよりも強い喜びをもたらす。自らを哀れだと思わせることは、自らの自尊心に媚びることなのである。」
私もそのような想い・視点が強い。
他社性とは何か、それがどのように人と社会に影響するのか、というもう一つのテーマにも通じる点だと思う。
コンスタンが思想として読まれるようになったのは近年になってからである。
トドロフによれば、コンスタン全集は1993年からドイツで刊行されはじめ、完結すれば40巻になり、2003年の時点では9巻が発行されたという。
フランス大革命とナポレオン時代を生きたコンスタンの問答は近代を外部から見ていると同時に、観察者でもある。ながらく読まれてこなかったものが現代に再生されてくる思いがする。
様々に影響を受けやすい性質を「動かされやすさ」(モビリテ)と言及しているが、現代の諸問題は一義的な方法では解決できない。こうした方法論が強い時代にはコンスタンは、見直されなかったし価値が理解されなかった。
自由主義における「自由」の概念は、ますます曖昧になっている。
・・・私化の問題について、私にとっての課題はそれを”実証的”に論じらきれるかということでもあります。なぜならば、他者性ということが絡む以上、「主観的データ・数量的データ」に基づくとして、それがどこまで「客観的」であると云えるのだろうか?ということ。
例えば、ある結論に基づいて、数量的データを集めたり実験したり統計することは可能であるし、ある結論から統計データを集めることも可能である。寧ろ、より多数を説得する・納得せざるをえないように数量的なものが用いられることのほうが多い。
これらは、私にとってやらなければならないことの一つなのですが、(しかも関心があることだけに拘ってしまう部分もある)苦心しています。しばしば、「考えすぎ」ていると言われたりもするのですが、端的にいえるほど簡単な問題ではないように思えてしまうのです。
私感ですが、逆に実証的になればなるほど、複雑な問題が単純化され楽天的性質をもって語られて終わってしまうような気になるのです。
バンジャマン・コンスタン―民主主義への情熱 (叢書・ウニベルシタス)
著者:ツヴェタン トドロフ
販売元:法政大学出版局
発売日:2003-12
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アドルフ (新潮文庫)
著者:コンスタン
販売元:新潮社
発売日:1954-06
おすすめ度:
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日記的な記述をすると、冬は乾燥が苦手なのですが、ドライアイと乾燥?アレルギーなのかストレスなのかこの数日間やはり余り芳しい調子ではありません。リゾナーレのギフトショップで買えるオリジナル・ブレンドのハーブティ(リラックス)が無くなってきたので、前回ハーブ・マルシェにいったときに買った「プロヴァンス・ビューティ」を飲んでいます。ハーブティばかり飲んでいます。ストレスを溜めないように色々自衛しております。みかんもノーワックスのパル・システムの早世みかんが美味しい。パルシステムのグリーン・ボックスで届く野菜は新鮮ですが、ブロッコリーとツナと鷹の爪のペペロンチーノ風(プーリア風オイルベース)のスパゲッティなどを作ったり。
明日は(近場ですが)出張です。
「古代ローマ帝国の遺産」ナポリ・ポンペイ展の感想はまた後日追記して載せたいと思います。
コンスタンは長らく、一貫性がないと捉えられていた思想家・政治理論家でもあり、しかし日本では「アドルフ」(岩波文庫)の著者としてしか知られていない部分もある。19世紀のフランス(現代でもある意味そうだが)文学はローマ時代くらいの多元性をもっていた、つまり政治理論家が短編小説を書き、ゴーティエなどは詩人でありながら台本を書き、芸術評論でも多作だった。ボードレールもその系譜の多元性をもつ。つまり翻訳家であり、評論家であり詩人だった。
話が逸れてしまったが、バンジャマンコンスタンはナポレオンがいた同時代において、モンテスキューとルソーの間で法と政治、自由の概念と権力、公共と私圏についてそれぞれ問答している。彼の翻訳は現在進行形な部分もあり一部読んでいるが大変興味深い。それは、現実を見据えながら、あるべき状態を模索する人間の志向と実現の過程への問いである。
新旧論争の時代、コンスタンは古代人の公共圏と近代人の私圏を考察する。
この視点は実に新鮮だ。なぜならば、私圏への偏りを問題視するとき、多くは古代の起源との比較の後行き詰まってしまう場合が多いからだ。
彼の言う、自由主義的民主主義とは原理原則のようで、実は現代においても実現されていない部分がある。デリダは「来るべき民主主義」と書いているが、コンスタンの文章はモノローグの対話である。
心理描写の妙を絶賛されるコンスタンだが、この政治理論においても大衆と権力者集団との心理にまで分け入っており、それがこうした考察を可能にしているのかもしれない。
民主多数決の原理はその構造自体と結果の権力の行使者の在り方によっては、専制的民主主義という逆説的な社会が生まれてしまう。(そしてそれは実際にあり得ることであるし、歴史ですでに顕れた通りである)
創作の上でも、コンスタンは日記においても、自己の中にある公衆について意識する。また同情や苦悩を自己表現には用いない。
トドロフは注解する。
「言語という媒介物を介して、「観客」、公衆はわれわれの内部にある。日記と差し向かいでいてさえ他者を逃れることはできない。完全な独立とは虚しい夢である。」
「「私は苦しんでいる」と言うことは、あらゆる苦しみよりも強い喜びをもたらす。自らを哀れだと思わせることは、自らの自尊心に媚びることなのである。」
私もそのような想い・視点が強い。
他社性とは何か、それがどのように人と社会に影響するのか、というもう一つのテーマにも通じる点だと思う。
コンスタンが思想として読まれるようになったのは近年になってからである。
トドロフによれば、コンスタン全集は1993年からドイツで刊行されはじめ、完結すれば40巻になり、2003年の時点では9巻が発行されたという。
フランス大革命とナポレオン時代を生きたコンスタンの問答は近代を外部から見ていると同時に、観察者でもある。ながらく読まれてこなかったものが現代に再生されてくる思いがする。
様々に影響を受けやすい性質を「動かされやすさ」(モビリテ)と言及しているが、現代の諸問題は一義的な方法では解決できない。こうした方法論が強い時代にはコンスタンは、見直されなかったし価値が理解されなかった。
自由主義における「自由」の概念は、ますます曖昧になっている。
・・・私化の問題について、私にとっての課題はそれを”実証的”に論じらきれるかということでもあります。なぜならば、他者性ということが絡む以上、「主観的データ・数量的データ」に基づくとして、それがどこまで「客観的」であると云えるのだろうか?ということ。
例えば、ある結論に基づいて、数量的データを集めたり実験したり統計することは可能であるし、ある結論から統計データを集めることも可能である。寧ろ、より多数を説得する・納得せざるをえないように数量的なものが用いられることのほうが多い。
これらは、私にとってやらなければならないことの一つなのですが、(しかも関心があることだけに拘ってしまう部分もある)苦心しています。しばしば、「考えすぎ」ていると言われたりもするのですが、端的にいえるほど簡単な問題ではないように思えてしまうのです。
私感ですが、逆に実証的になればなるほど、複雑な問題が単純化され楽天的性質をもって語られて終わってしまうような気になるのです。

著者:ツヴェタン トドロフ
販売元:法政大学出版局
発売日:2003-12
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著者:コンスタン
販売元:新潮社
発売日:1954-06
おすすめ度:

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日記的な記述をすると、冬は乾燥が苦手なのですが、ドライアイと乾燥?アレルギーなのかストレスなのかこの数日間やはり余り芳しい調子ではありません。リゾナーレのギフトショップで買えるオリジナル・ブレンドのハーブティ(リラックス)が無くなってきたので、前回ハーブ・マルシェにいったときに買った「プロヴァンス・ビューティ」を飲んでいます。ハーブティばかり飲んでいます。ストレスを溜めないように色々自衛しております。みかんもノーワックスのパル・システムの早世みかんが美味しい。パルシステムのグリーン・ボックスで届く野菜は新鮮ですが、ブロッコリーとツナと鷹の爪のペペロンチーノ風(プーリア風オイルベース)のスパゲッティなどを作ったり。
明日は(近場ですが)出張です。
「古代ローマ帝国の遺産」ナポリ・ポンペイ展の感想はまた後日追記して載せたいと思います。
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