優れた書物、読み継がれる書物というものは、「書かれたもの」でありながら、その人の声として読者へ届く。時間や空間を隔てて読者との対話が成り立つのは、そういった書物である。

エクリチュール、パロール...という言葉を用いても用いなくても、そういう本が「存在」しているように思う。

納富信留先生の「プラトン」、斎藤慶典先生の「デカルト」を読んでいてそう思った。納富先生が書かれた「洞窟の比喩」は、初めて日本語で書かれた「洞窟の比喩」だと思った。今までのどの解説、説明からも得られない「書かれたもの」だと思う、思うという言葉では表しきれない。
両先生の話を直接聞いているからということ以上に、文を読みながら、生きた声・言葉として届くように感じた。感じたと書いている以上に、(私なりに)テキストに向かい、理解したことはあるが、優れた書物というのは「生きた言葉」としてこんな風に読者へ届くのだ、書物との対話とはそうしたことなのだという思いがした。

人が言葉を使う、言語を使うということはこうしたことを本来的に意味するのだということだと改めて感じた。
対話は一度きりしか成り立たず、「現在」すら定まることはない。生きた言葉である対話を、永遠に残すことができるのが、そういった言語の使い方であり、人間はそのような形でしか、思考したり学んだりできない。
優れた書物は、「過ぎ去った対話」でも「書き留めておく」ことでもないのだろう。読む度に再生する言葉というものがある。

一方で、(現代の問題とも直結してることだが)テキスト、文字を読む能力が衰えればそのような「対話」「繋がり」は消えてしまうだろう。

認識(認知とは異なる)の段階というものがあり、それはあるときに「始まる」のであって、・・・終わる事はない。しかし、始まると同時に、問いは続いて止まることはない。他者性もそこに関わる。転換期において問われることでもある。

あまりここには(あえて)書いてはいないが、最も書きたいことでもある。
書きたいというのは欲求ではなく、精神史・思想史の流れに根ざすことなのだが、・・問いと応答を「言葉で/独善的にではなく/水脈にそって/書く」ことができればよいと思っている。
このblogの25時間目とは、非日常の時間、生活時間の外部という意味なのだが、いかに25時間目の1時間ー2時間を創り出せるかが常に課題なのだけれども...。
(時間はある・ないではなく、創り出すことだと思っている...)

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