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「公共性」「公共圏」とは自分の「生活」と関わる問題と自分が属しているカテゴリーに関して関心が薄れれば、成り立たない。公共施設などという意味でよく使われるパブリックという語だが、むしろパブリックとは個人の集合概念であって、行政や公権力に属する問題ではない。「市民」という言葉が生まれた背景には、「自分たちの生活や日常をいかに維持・発展させるか」という意識がある。たとえば、「景気」の動向によって生活維持が困難になったりする問題は、公共性の衰退から生まれるものである。つまり、個人の日常的な努力や活動では、解決できないような困難が日常に生まれることを懸念することで、雇用対策などは従来行われてきた。それが衰退すれば、個人は何もできなくなってしまう。そういう大きな流れに左右されないような仕組みを法や行政の制度を用いて行うことが重要で、政治は立法にかかわる重要な問題である。
個人は法をつくることができない。むしろ、法に服従し、法にもとづいて責任をとる(責任と義務に基づいてあるのが「自由」であることを忘れてならない)立場に常に置かれている。
政治に無関心というのは、日常を法の下に営むかぎり、あってはならないだろう。
(だからオーストラリアは、参政権(権利)とその権利を果たす義務にもとづいて選挙にいかなければ「罰金」が科せられる)
おそらく、政治側にとっては、無関心な個人、層が増えることが望ましいと考えているだろう...無党派層というのは基本的にこの立場を指す。なぜなら、ある程度政党によって、個人のスタンスは決められるからだ。
一昔前は、職場の利益に基づいた「組織票」などが投票理由だったかもしれないが、その理論はもう通じない。有権者は納税者としても、税金をどのように使うのか関心をもってもらいたい。政党が用意した「有名人」や「2世議員」などにつられて投票してもらいたくないし、誰も相応しいひとはいないから投票しないというのも、単純すぎる。
多分、政治の無関心さは、政治家が「自分のことしか考えてない」という理由から有権者がうんざりしているからだろう。確かに、そういう理由は解る。しかしだからといって、やはり投票には行かなければ、わずかに与えられた権利すら行使できない。ちなみに、19世紀の半ばですら、ある程度の納税額がある成人の男性しか投票権はなかったのである(女性参政権が最初にととのえられたのはニュージーランドである。これは意外と、民主主義の伝統では「市民」という概念が「中産階級以上の白人の男性」中心の考え方にのっとていることが理由である。
トピックにもあったように、個人の間で政治の話はあまりしない社会だと思う。
私も成人してから選挙にいかなかったことは一度もない。
日本にかぎらず、19世紀半ばからそういった話は「遠慮」することが欧米でも始まり、それが経済理論や景気といったものが、個人の生活圏にかなり入り込む土壌にもなってしまったらしい。(ハーバマス、斎藤純一氏の本参照)
自分の生活に直に関わることが、政治なのだから。
メディアも含めて現在は「権力」であることを忘れず、政界トピック=政治という意識ではなく、自分の視点を確立することが重要だろうと思う。
どうも日常の社会で政治思想や政治哲学などは軽んじられたり、疎んじられたりする傾向が強く、「社会科」の中でも政治や思想は除外して語られるために「暗記科目」だと思われがちだが、理念なき政治は、おそらく唯の権力争いの世界になってしまうのだろう。多くの政治家の言動こそが「私化」しており、「善さ」の構造において、村井先生が書かれているように、代議士は代利士といわざるをえないという指摘に同感だった。現在は更にその傾向は強まっている。
理念喪失した政治観は、私的世俗権力に終始してしまうために、ますます権力に遠心的な人達(私も割とそのタイプなのだが)はうんざりしてしまうのだろう....しかしうんざりして終わるわけにもいかない問題なのだからやはり関心は有無や好き嫌いのレベルでは語れない。
政権交代は裏を返せば、既得権の構造を変えることになる。私はその意味で、少なくとも二大政党制かつ、政権交代がある程度定期的に行われなければ、バランスがとれた社会になることはないと思っている。二大政党制とは、単純に考えると、多元的な支配か一元的な支配かということになる。経済、法、社会(日常的な生活レベルの問題)、文化などが硬直しないためにも政権交代が定期的に起こるような(つまり選択の可能性が閉じていない)参政権が適当に反映されるような状態にならなければならないと思っている。50年間ほぼ、政権担当政党が変わっていない・二世議員が増えるということはそれだけ、変化がなく、既得権層が変わっていないということになる。
因みに、民主政治においての選挙はもともとは「独裁のおそれがある有力者」を地域から追放するために行っていた「陶片選挙」が元であるらしい。あのダンテもフィレンツェから追放された身の上だった。それが、多数決の原理と結びついたときに、民主政治というのは「人の関心を買う」制度にある程度変わってしまった。だからこそ、「選挙がもっとも大切」と公言したり自分たちの都合で国会解散時期をずらしたりするのは間違いだろう。有権者のほとんどは、前回選挙から現在までのことを覚えているだろう。そして、選挙の時にばかり、自分をアピールして活動報告をしていない議員を選ぶほど、楽天的でいられるほど悠長な世の中ではもうない。
来月に選挙があるが、その後のほうが重要だという意識を忘れないで貰いたいと思う。そのような意識が欠落した議員(や二世議員)に何度も投票するほど愚かではないし、そのようなことが続くようなら、ますます危機的な状況になるだろうと思われる。
(つまり、すでに指摘されているように高額な納税者ほど海外移住するようになる。または市外、県外への移住も増えるようになる、というように。おそらくこの事はメディアでは問題にされないだろうけれど、既にアメリカで起きているこの現象は、いずれ日本でも起こるだろうと云われている...)
抽象的な話かつ長くなってしまったが、せっかくピックアップテーマに上がっていたので、書き留めておきたいと思います。今週は月・火が疲労で昨日は半日休んでしまったのですが、今日になりやっと先週の疲れも回復してきました。しかし体力がおちると気力も低下してしまいますね、なるべく疲れを溜めないようにしなければと観じました。

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