東京バレエ団45周年記念ガラ公演4/19に観に行きました。
日時が経過してしまったのですが感想を..「エチュード」はカール・ツェルニーらの音楽を用いて、バーレッスンからセンターレッスン、最後は高度な回転や跳躍を組み合わせたバレエのテクニックをみせるもので、マリインスキー・バレエの前回公演でも踊られた。今回もサラファーノフが客演とあって観に行ったのですが、フリーデマン・フォーゲルの跳躍やテクニックに垣間見える表現の豊かさが目をひいた。
この方は写真でみるよりも実際の踊りや、動いているときのほうが数段良く見えるというダンサーですね!私見ですみませんが、エルヴェ・モローなどもそうだと思います....
ノイマイヤーの「月に寄せる七つの俳句」
これも私見ですみませんが、「俳句」と「バッハ」は単純に合わないのではなかと思ってしまいました、しかし「月」や「日本的情緒としての詩性」のノイマイヤーの解釈は間違ってはいないし、実際静的な動きでそれらを表現する東京バレエの女性ダンサー(コールド)も良かったと思います。ただ、振付と音楽は合っているのに、主題とは乖離してしまっているようにみえる。
おそらく、芭蕉などの「俳句」を英語訳で解釈してノイマイヤーは振り付けているのだろうが、俳句や和歌は、文字化された意味以上に、背景の音楽や色彩、秘められた感情を詠むものであって、意味解釈した振付では主題をとらえきれないのではないだろうか。誰かアドバイスをすればよいのに....
単純に「和」と「バッハ」を足したら、それ以上の表現やモダニズムに至るということはないように私には思われる。
それに、朗読風のナレーションは、非言語表現であるバレエにはやはりそぐわない。
踊り自体が、言語を超えていなければ、バレエは芸術ではありえず、ショーになってしまうのではないだろうか、何よりもナレーションが不要だと思った。
そして、少々構成的にも長すぎるように思った。
ソロを踊った長瀬さんは良かったと思う(少々痩せたようにみえて、始め誰か解らなかったくらいでした)見ごたえがあった。
タムタムの木村さんは良かった、でもどちらかというとベジャール作品のときのほうがしなやかで伸びがある踊りのように思えた。
パ・ド・ドゥの宮本祐宣さん(先生)と渡辺真理さんも良かったと思う。
同じような演目で、オペラ座のベラルビやドラノエが出ている「ブーブー」という演目があるが、バレエの可能性としての地中海世界の南側、アフリカ的原始性、舞踏の野性的+人間性の両立を描いた作品として面白い。
だからそれだけに、女性コールドはもっと、自己遠心的(エゴを排除したような)な表現が踊りに欲しいと思った。
そういう部分は、「習って」習得できるものではないのだろう。
踊りがもつ本質、音楽性の表現、「素晴らしい」と思えるバレエや身体表現は技術だけで成り立っているのではない。
それと同時に、技術の高さによってのみ、本質表現ができるのではないのかと思うこともある。
ダンサーや舞台公演から受ける「影響」が、遺伝子のように受け継がれていく伝統や技術の基盤なのかもしれない。
もう1演目、短い作品でもいいがあるともっと良かった公演だと思う。
ところで、のえるさんのblog(Art and The City)で知ったのですが東京バレエの中島周さんは3月で退団されたときいて驚きました。非常に残念です、「ギリシアの踊り」は見事でしたから、やはり観られないのかと思うと残念です。
日時が経過してしまったのですが感想を..「エチュード」はカール・ツェルニーらの音楽を用いて、バーレッスンからセンターレッスン、最後は高度な回転や跳躍を組み合わせたバレエのテクニックをみせるもので、マリインスキー・バレエの前回公演でも踊られた。今回もサラファーノフが客演とあって観に行ったのですが、フリーデマン・フォーゲルの跳躍やテクニックに垣間見える表現の豊かさが目をひいた。
この方は写真でみるよりも実際の踊りや、動いているときのほうが数段良く見えるというダンサーですね!私見ですみませんが、エルヴェ・モローなどもそうだと思います....
ノイマイヤーの「月に寄せる七つの俳句」
これも私見ですみませんが、「俳句」と「バッハ」は単純に合わないのではなかと思ってしまいました、しかし「月」や「日本的情緒としての詩性」のノイマイヤーの解釈は間違ってはいないし、実際静的な動きでそれらを表現する東京バレエの女性ダンサー(コールド)も良かったと思います。ただ、振付と音楽は合っているのに、主題とは乖離してしまっているようにみえる。
おそらく、芭蕉などの「俳句」を英語訳で解釈してノイマイヤーは振り付けているのだろうが、俳句や和歌は、文字化された意味以上に、背景の音楽や色彩、秘められた感情を詠むものであって、意味解釈した振付では主題をとらえきれないのではないだろうか。誰かアドバイスをすればよいのに....
単純に「和」と「バッハ」を足したら、それ以上の表現やモダニズムに至るということはないように私には思われる。
それに、朗読風のナレーションは、非言語表現であるバレエにはやはりそぐわない。
踊り自体が、言語を超えていなければ、バレエは芸術ではありえず、ショーになってしまうのではないだろうか、何よりもナレーションが不要だと思った。
そして、少々構成的にも長すぎるように思った。
ソロを踊った長瀬さんは良かったと思う(少々痩せたようにみえて、始め誰か解らなかったくらいでした)見ごたえがあった。
タムタムの木村さんは良かった、でもどちらかというとベジャール作品のときのほうがしなやかで伸びがある踊りのように思えた。
パ・ド・ドゥの宮本祐宣さん(先生)と渡辺真理さんも良かったと思う。
同じような演目で、オペラ座のベラルビやドラノエが出ている「ブーブー」という演目があるが、バレエの可能性としての地中海世界の南側、アフリカ的原始性、舞踏の野性的+人間性の両立を描いた作品として面白い。
だからそれだけに、女性コールドはもっと、自己遠心的(エゴを排除したような)な表現が踊りに欲しいと思った。
そういう部分は、「習って」習得できるものではないのだろう。
踊りがもつ本質、音楽性の表現、「素晴らしい」と思えるバレエや身体表現は技術だけで成り立っているのではない。
それと同時に、技術の高さによってのみ、本質表現ができるのではないのかと思うこともある。
ダンサーや舞台公演から受ける「影響」が、遺伝子のように受け継がれていく伝統や技術の基盤なのかもしれない。
もう1演目、短い作品でもいいがあるともっと良かった公演だと思う。
ところで、のえるさんのblog(Art and The City)で知ったのですが東京バレエの中島周さんは3月で退団されたときいて驚きました。非常に残念です、「ギリシアの踊り」は見事でしたから、やはり観られないのかと思うと残念です。
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