古代トラキア人の文明についてブルガリア・ソフィア考古学博物館収蔵品と昨年発見された黄金のマスクの展示を観にいきました。(東京駅@大丸ミュージアム)
古代ギリシア、アケメネス朝ペルシアとの繋がり、文明の起源と文明の十字路、彫像と装飾品からみる古代トラキア人の価値観などとても見ごたえがある展示でした。
トラキア展については教えて頂いたのですが、会期中にかならず観にいこうと思っていた展示です。
以前UK-JAPAN2008のジム・ランビー展のイベントでご一緒したHeyselさんに教えていただき+ご招待券を頂き、貴重な展示に見逃すことなく行くことができました。
トラキア人は馬を大変重要視し、かつ白い馬を神聖視していたとのことで王族は白い馬にのっていたとのことです。多神教時代、神聖な存在は有翼のもので表されるのですが(天使の原型の隼、ヘルメス(メルクリウス)の翼など、白い馬に翼があるペガサスもこのあたりから生まれたものがギリシアに融合したのかもしれない、などと思ってしまった。
武具や装飾品をみると、大地母神信仰と、天上信仰が併存しているのがよくわかります。ここからも、この文明が多元的要素を持つことがよくわかります。
葬儀の方法も古代人の価値観をよく表しているのですが、来世信仰と拝火(火を神聖とみなす=火葬)の考えが反映されているように思いました。来世も生きる信仰ではエジプトにみられるように、肉体を保存するため火葬は好まないのですが、併存しているのが興味深い。馬も装飾品をつけたまま葬られたので馬飾もとても多く展示されていました。馬飾りの起源も興味深い点です。
黄金のマスクはブルガリアのバラの谷をイメージした香りが漂う空間に展示してありました。こういう演出はとても良いですね。ダマスクスの薔薇が由来なのでしょうか、おそらくダマスクローズがブルガリアの薔薇なのでしょう。金を伸ばして造ったマスクは、黄金で死者の主体を永遠のものに願ったのでしょう。何しろ紀元前5000年の黄金の腕輪が今もそのまま輝いているのを目にして、黄金が何を意味していたのか、理解できる気持ちになります。
中央にニケ像を有した、冠の興味深いかったです。植物=神聖なものとして冠にする、以前記事にも書いたそもそもは木そのものを崇拝していたという価値観に通じると思われるからです。
ブルガリア自体も興味がある場所なのですが、バルカン半島東南部のトラキア文明を見ることができてますます関心が。共通するのは西方的なものと東方的なものの十字路としての多元的な文明だということ。図録が大変に充実していて、解説も詳細で解りやすく情報量が多く一冊でよみごたえがあるものでした。
トラキア文明の最盛期は紀元前5-3世紀といわれ、357年にはマケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロスの父)に征服されますが、ギリシア・ペルシアの間に位置するために両方の影響が感じられ、ギリシアにもトラキア起源のものが取り込まれ、また前5000年に黄金製品が作られていること、しかも優れた造形から技術の高さと繊細な装飾性がよくあらわれいる。それが実際に観られる展示だった。
鉄器をはじめに用いたのはアッシリアだといわれているが、トラキアでも黄金製品が見つかり、バルカン半島や黒海周辺の山が鉱物資源が豊富なことからそういった面で文明が現れたとするととても興味深い。
(ヘファイストスやプロメテウスの神話もどこか、やはりこの地方を起源としているようにも思われた。神話はフィクションというよりも、記憶が薄れないために悲劇を、神話にして残している部分があることから、神話や伝説というのは実際の出来事に起因することが多い。また、先史時代は口述による伝承形式をとっていることからも、記録だけで起源を辿ること以外の可能性としても興味深い展示だった)
アケメネス朝ペルシア由来の鹿や女性像のモチーフのリュトンや、ギリシアの壷絵、ギリシア語が刻まれた装飾品も繊細で保存状態がとてもよく美しかった。
テラコッタのアルテミス像は、最近発見されたためとても幸運なことに、鼻をそがれていない美しい像の姿で素晴らしかった。
(ギリシア・ローマの大理石像は大抵、キリスト教や一神教からは「異教」として扱われ、鼻や身体の一部を欠損した状態ですが、このアルテミス像は本来の姿で近年発見されたために破壊を免れているのだろうと思う。)
リラ(竪琴)を持ったポーズのアポロンのブロンズも写実性+理想の調和がとれていて素晴らしかった。
追記*
ふと思ったのだが、アレゴリーの調和と完全な人間性を(実は)モチーフにしている「眠りの森の美女」のリラの精とは、アポロンの女性的イメージとして変容したものなのではないかと思ったのでした。オーロラは、薔薇のアレゴリーと完全性、調和性を体現するが、おそらくリラは薔薇の対比ではなく、最高善と調和の象徴なのだろうとは以前から思っていましたが。他の妖精たちは、ミューズ(ムーサ)であり、精霊としての役割とアポロン的アレゴリーが、チャイコフスキーとプティパが想定した「リラ」なのかもしれない。
古代ギリシア、アケメネス朝ペルシアとの繋がり、文明の起源と文明の十字路、彫像と装飾品からみる古代トラキア人の価値観などとても見ごたえがある展示でした。
トラキア展については教えて頂いたのですが、会期中にかならず観にいこうと思っていた展示です。
以前UK-JAPAN2008のジム・ランビー展のイベントでご一緒したHeyselさんに教えていただき+ご招待券を頂き、貴重な展示に見逃すことなく行くことができました。
トラキア人は馬を大変重要視し、かつ白い馬を神聖視していたとのことで王族は白い馬にのっていたとのことです。多神教時代、神聖な存在は有翼のもので表されるのですが(天使の原型の隼、ヘルメス(メルクリウス)の翼など、白い馬に翼があるペガサスもこのあたりから生まれたものがギリシアに融合したのかもしれない、などと思ってしまった。
武具や装飾品をみると、大地母神信仰と、天上信仰が併存しているのがよくわかります。ここからも、この文明が多元的要素を持つことがよくわかります。
葬儀の方法も古代人の価値観をよく表しているのですが、来世信仰と拝火(火を神聖とみなす=火葬)の考えが反映されているように思いました。来世も生きる信仰ではエジプトにみられるように、肉体を保存するため火葬は好まないのですが、併存しているのが興味深い。馬も装飾品をつけたまま葬られたので馬飾もとても多く展示されていました。馬飾りの起源も興味深い点です。
黄金のマスクはブルガリアのバラの谷をイメージした香りが漂う空間に展示してありました。こういう演出はとても良いですね。ダマスクスの薔薇が由来なのでしょうか、おそらくダマスクローズがブルガリアの薔薇なのでしょう。金を伸ばして造ったマスクは、黄金で死者の主体を永遠のものに願ったのでしょう。何しろ紀元前5000年の黄金の腕輪が今もそのまま輝いているのを目にして、黄金が何を意味していたのか、理解できる気持ちになります。
中央にニケ像を有した、冠の興味深いかったです。植物=神聖なものとして冠にする、以前記事にも書いたそもそもは木そのものを崇拝していたという価値観に通じると思われるからです。
ブルガリア自体も興味がある場所なのですが、バルカン半島東南部のトラキア文明を見ることができてますます関心が。共通するのは西方的なものと東方的なものの十字路としての多元的な文明だということ。図録が大変に充実していて、解説も詳細で解りやすく情報量が多く一冊でよみごたえがあるものでした。
トラキア文明の最盛期は紀元前5-3世紀といわれ、357年にはマケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロスの父)に征服されますが、ギリシア・ペルシアの間に位置するために両方の影響が感じられ、ギリシアにもトラキア起源のものが取り込まれ、また前5000年に黄金製品が作られていること、しかも優れた造形から技術の高さと繊細な装飾性がよくあらわれいる。それが実際に観られる展示だった。
鉄器をはじめに用いたのはアッシリアだといわれているが、トラキアでも黄金製品が見つかり、バルカン半島や黒海周辺の山が鉱物資源が豊富なことからそういった面で文明が現れたとするととても興味深い。
(ヘファイストスやプロメテウスの神話もどこか、やはりこの地方を起源としているようにも思われた。神話はフィクションというよりも、記憶が薄れないために悲劇を、神話にして残している部分があることから、神話や伝説というのは実際の出来事に起因することが多い。また、先史時代は口述による伝承形式をとっていることからも、記録だけで起源を辿ること以外の可能性としても興味深い展示だった)
アケメネス朝ペルシア由来の鹿や女性像のモチーフのリュトンや、ギリシアの壷絵、ギリシア語が刻まれた装飾品も繊細で保存状態がとてもよく美しかった。
テラコッタのアルテミス像は、最近発見されたためとても幸運なことに、鼻をそがれていない美しい像の姿で素晴らしかった。
(ギリシア・ローマの大理石像は大抵、キリスト教や一神教からは「異教」として扱われ、鼻や身体の一部を欠損した状態ですが、このアルテミス像は本来の姿で近年発見されたために破壊を免れているのだろうと思う。)
リラ(竪琴)を持ったポーズのアポロンのブロンズも写実性+理想の調和がとれていて素晴らしかった。
追記*
ふと思ったのだが、アレゴリーの調和と完全な人間性を(実は)モチーフにしている「眠りの森の美女」のリラの精とは、アポロンの女性的イメージとして変容したものなのではないかと思ったのでした。オーロラは、薔薇のアレゴリーと完全性、調和性を体現するが、おそらくリラは薔薇の対比ではなく、最高善と調和の象徴なのだろうとは以前から思っていましたが。他の妖精たちは、ミューズ(ムーサ)であり、精霊としての役割とアポロン的アレゴリーが、チャイコフスキーとプティパが想定した「リラ」なのかもしれない。
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